台湾抗日運動
ウィキペディア フリーな encyclopedia
台湾抗日運動(たいわんこうにちうんどう)とは、日本の台湾統治時代に日本や日本人に対して台湾の住民が起こした闘争、事件、運動。
概要 台湾抗日運動, 交戦勢力 ...
台湾抗日運動 | |
---|---|
戦争:台湾抗日運動 | |
年月日:1895年5月 - 1915年、1930年 | |
場所: 台湾 | |
結果:台湾総督府側の軍事的勝利。平和的な政治運動へ移行。 | |
交戦勢力 | |
大日本帝国 味方蕃(中国語版) |
本島人各種勢力
反抗蕃(台湾原住民) |
閉じる
概要 台湾の歴史, 参考 ...
台湾の歴史 | |
---|---|
台湾史年表 | |
先史時代 オランダ統治時代 (1624-1662) 鄭氏政権 (1662-1683) 清朝統治時代 (1683-1895) 台湾民主国 (1895) 日本統治時代 (1895-1945) 中華民国統治時代 (1945-現在) | |
政治史 経済史 建築史 (十大土木史蹟 - 百大建設) 文化史 社会史 教育史 メディア史 軍事史 交通史 中台関係 | |
台北の歴史 高雄の歴史 | |
台湾古跡一覧 遺跡 | |
参考 | |
中国の歴史 中華民国の歴史 | |
その他台湾に関する記事 | |
文化 - 経済 - 地理 政治 - 教育 - 軍事 人口 - 言語 - 交通 | |
テンプレートを表示 |
閉じる
台湾における抗日武装闘争は1915年までに、後の霧社事件を除いてほぼ終息したが、その後は主に日本に留学した台湾人知識人が主体となり、様々な自治要求運動、農民運動、労働運動、社会主義運動といった非武装社会運動が展開された。若林正丈によると、台湾漢族住民の抗日闘争は「台湾民主国」による抗戦から1915年までが前期武装闘争とされ、対して1915年以降の様々な政治・社会運動は後期抗日闘争と位置づけられている[1]。向山寛夫は1901年に至るまでの台湾人側の抗日闘争を台湾側の武力抗日運動とし、一方で西来庵事件鎮圧以降に起きた台湾民族運動を、政党組織や言論によるブルジョワ民族運動とした[2]。また霧社事件などの台湾先住民による反乱は蕃害と呼ばれ、本島人による抗日運動とは区別された。