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日本の男性アニメーター、キャラクターデザイナー、アニメ監督、アニメ演出家 ウィキペディアから
宮 繁之(みや しげゆき、1975年11月14日 - )は日本の男性、アニメ監督、演出家、キャラクターデザイナー。別名義に更一灯[1]。
1999年、スタジオディーンに入社。『ルパン三世 天使の策略 〜夢のカケラは殺しの香り〜』で監督デビュー。現在はマッドハウスやブレインズ・ベース、MAPPA制作の作品に関わることが多い。
両親が教師であったため、国語の教師になることをぼんやり考えながら大学に進学するが、自身が教員に不向きな性格であったことから別の進路を模索[2]。幼少期より絵を描くことを好んでいたことや授業の一環としてシナリオを学んだことからアニメ業界も視野に入れ、スタジオディーンに制作進行として入社[2]。しかし、人命に関わるものではなかったが自動車事故を多発させてしまい、プロデューサーから辞職を促される事態となる[2]。自らも「これ以上、周囲に迷惑を掛けたくない」と辞職を考えていたところ、スタジオディーン制作の『るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚- 追憶編』の監督、古橋一浩に「絵でも描いてみる?」と声を掛けられ同作で少ないながらも原画を担当[2]。古橋から「いいじゃん、描けるじゃん」と評価され、制作進行からアニメーターへと転向。以後はクリエイターとして作品制作に関わるようになる[2]。これらの経緯から「業界に残してくれた恩人」が古橋であると語っている[2]。
アニメーターとなった当初はタイムシートが読めず苦労を伴った[2]。平山智の手伝いで東京ムービーに訪れていた時、プロデューサーの大石祐道に『京極夏彦 巷説百物語』のキャラクターデザインに誘われる[3]。自らも京極夏彦作品に触れていたことからこれを引き受け、キャラクターデザインの初仕事となった[3]。同作では同じく初担当となった絵コンテがプロデューサーに評価され、作画の他に絵コンテや演出の仕事も行うようになる[2]。2005年放送の『ルパン三世 天使の策略 〜夢のカケラは殺しの香り〜』で監督デビューを飾り、以降は様々な作品で監督を務めるようになる[4]。なお、総監督やスーパーバイザーとして制作に携わる場合は更一灯の名義を使用している[1]。これは後進育成や若手のサポートとして起用される際には、自分の名前が出るより作品のために徹夜して頑張っている人たちの名前が出ればいいという考えによるものである[1]。
前述の経緯から、「他にキャラクターデザインや作画に費やしてきた先輩がいるのに、自らを偉そうに原画マンやキャラクターデザイナーと名乗りたくはない」と語っている[4]。また、絵の専門教育を受けておらずアニメ専門学校に通ったことも無かったため、『BUZZER BEATER』で宮が手掛けたキャラクターデザインの監修を行った井上雄彦を直接絵を教わった唯一の人物として挙げている[4]。
自身の仕事については、自らもクラスの端にいたといい「端っこに追いやられている人の背中を押すのが自分の仕事」「苦しい思いをしている人に「ここであきらめるなよ」と励ますような作品を作っていきたい」と語っている[1]。
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