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許勢 小柄(こせ の おから[1]、生没年不詳)は、『古事記』等に伝わる古代日本の人物。
『古事記』では「許勢小柄宿禰(こせのおからのすくね)」、他文献では「巨勢男韓」「巨勢男柄」「巨勢雄柄」「己西男己柄」とも表記される。「宿禰」は尊称。『日本書紀』に記載はなく、『古事記』でも事績に関する記載はない。
系譜に関して『日本書紀』に記載はない。『古事記』孝元天皇段では、建内宿禰(武内宿禰)の子7男2女のうちの第二子として記載されている[1]。
一方『日本三代実録』貞観3年(861年)9月26日条では、「巨勢男韓宿禰」の名で武内宿禰の第五男とされている[1]。
子に関して、『続日本紀』では「巨勢男柄宿禰」には3人の男子、すなわち星川建日子(雀部朝臣らの祖)、伊刀宿禰(軽部朝臣らの祖)、乎利宿禰(巨勢朝臣らの祖)があるとする[1]。
『古事記』では許勢臣(巨勢氏)・雀部臣・軽部臣ら諸氏族の祖とする[1]。
また前述のように、『続日本紀』では雀部朝臣・軽部朝臣・巨勢朝臣らの祖とする[1]。
『新撰姓氏録』では、次の氏族が後裔として記載されている[1]。
そのほか、『越中石黒系図』では斐太朝臣、『蘇我石川両氏系図』では鵜甘・槭田・斐太を後裔氏族として記載する[1]。
武内宿禰の他の男子と異なり、『古事記』『日本書紀』では許勢小柄に関する伝承は一切記されていない[1]。このことから、実在を疑う見解が強いほか、武内宿禰の子とする伝承の成立も他の男子より遅れるという指摘がある[1]。
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