恩彦君李氏朝鮮後期の王族 / ウィキペディア フリーな encyclopedia 恩彦君(おんげんくん、ウノングン、은언군、乾隆19年5月29日(1754年7月18日) - 嘉慶6年6月13日(1801年7月23日))は、李氏朝鮮の王族。懿昭世子と第22代国王正祖の異母弟。名は䄄(イン、인)。のちに皇帝高宗により皇帝に追尊され「荘祖」と諡された荘献世子の息子である。 概要 恩彦君, 続柄 ...恩彦君 宗親世 正一品君 顕禄大夫[1]続柄 荘祖庶一子諡号 忠貞配偶者 常山郡夫人宋氏氏名不詳女全山郡夫人李氏子女 常渓君李昌順李昌徳李成得李鉄得豊渓君全渓大院君[1]『大典会通』では輔国崇禄大夫。官位は正一品。テンプレートを表示閉じる
恩彦君(おんげんくん、ウノングン、은언군、乾隆19年5月29日(1754年7月18日) - 嘉慶6年6月13日(1801年7月23日))は、李氏朝鮮の王族。懿昭世子と第22代国王正祖の異母弟。名は䄄(イン、인)。のちに皇帝高宗により皇帝に追尊され「荘祖」と諡された荘献世子の息子である。 概要 恩彦君, 続柄 ...恩彦君 宗親世 正一品君 顕禄大夫[1]続柄 荘祖庶一子諡号 忠貞配偶者 常山郡夫人宋氏氏名不詳女全山郡夫人李氏子女 常渓君李昌順李昌徳李成得李鉄得豊渓君全渓大院君[1]『大典会通』では輔国崇禄大夫。官位は正一品。テンプレートを表示閉じる