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動物の体毛は、空洞のないヘア(hair)と、空洞のある柔らかい毛のウール woolに分けられるが、毛織物は通常、羊毛などのウールを糸として織ったものをいう。
流通している量で言うと、羊毛の毛織物が圧倒的に多いが、他にもアンゴラヤギの「モヘヤ」、カシミアヤギの「カシミア」、ラクダの「キャメル」、アルパカの「アルパカ」のものもある。
毛織物に使用される糸は、製法の違いで梳毛糸(そうもうし)と紡毛糸(ぼうもうし)とに大きく分類される。
梳毛糸は比較的長い毛を選別し梳いて作成し、それを織った生地は梳毛織物(そうもうおりもの。ウーステッド 英: worsted)と呼ばれ、薄く艶があり主に男性のスーツなどに用いられる[1][2] [3] 。サージ、ギャバジンなどがこれにあたる。
紡毛糸は短い毛も利用し紡いで作成し、それを織った生地は紡毛織物(ぼうもうおりもの。ウールン woolen)と呼ばれ、毛羽立ちツイードやコートなどに用いられる[1][2][3]。メルトン、フラネル、ツイード、サキソニーなどがこれにあたる。
まだ毛織物が誕生していない段階から説明しておくと、 太古の昔、人類がまだ羊の毛を刈ってそれを使うという方法を思いついていなかった段階では、(羊を殺して、その)毛皮を衣服として身にまとっていた。[4]
歴史学者は、古代メソポタミアの人々が羊の毛を刈ってそれから服を作ることができると発見した、と考えている[4]。これは偉大な発見であった。というのは、この方法なら羊を殺さずに服を手にいれることができ、おまけに同一の羊が毎年新たに羊毛をもたらしてくれる可能性があるのだから[4]。だがメソポタミアの人々は、最初はウールを紡いだり織ったりしなかった。もしかするとそういうことを考えもしなかったのかも知れない[4]。彼らは最初、ウールをフェルトの形で使った[4]。
ここからが毛織物の歴史となるが、歴史学者たちによると、メソポタミアの人々はその後、ウールを紡いで織って[注釈 1]毛織物として使うようになり、それがメソポタミアにとって重要な産品となり、東はインド、西は地中海世界、南はアフリカ大陸との貿易が行われた。[4]
古代では、遊牧民は獣毛を原料に布を織ったりフェルトを作った。(一方、その後人類の中に農耕を始める人々が(紀元前9千年前後と言われている時期に)に登場したが、彼らは麻を織った布を利用していた。)
古代エジプトでは、亜麻布と毛織物の両方が使われたが、亜麻布のほうが"清浄"と見なされたのに対して毛織物のほうは"不浄"と見なされ、富裕な人などが着用したものの、神殿(en)では着用できなかった。
古代ギリシアでも羊が飼われ毛織物が織られた。古代ギリシア人は毛織物を贅沢品だとみなした[5]。詩人ホメロスは羊毛を紡ぎ織ることを詩にした。
古代ローマではウールは一番大切な繊維とされ、家族のためにウールを紡いで糸をつくりそれを織ってウールの衣類を作ることは古代ローマの女性全員の義務であり、それを行うことは、美徳と女性らしさの象徴であった[6]。ローマの女性たちの墓石にはしばしば、誇らしげに「私は家を守った」や「私はウールの仕事をした」などの文言が刻まれており、さらに杖、紡錘、ウールのかご、ウールを紡いだ毛糸の玉のレリーフが墓石を飾っていることもよくある[6]。ローマ人は、女性の美徳とウールを紡ぎ織ることを、かなり強く関連づけていて、初代ローマ皇帝のアウグストゥスは彼の妻や娘に対して彼のトーガを紡ぎ織ることを求め、それをローマ帝国の女性たちへの良き手本としようとした[6]
シリア砂漠の古代都市パルミラからも、細い羊毛の織物が出土している。
日本では、古くから越後国が「兎褐(とかち)」と呼ばれるウサギの毛を綿糸に混ぜて織った生地の産地として知られており、『扶桑略記』にも慶雲元年(704年)に朝廷に献上されたことが記されている。もっともこれは限定的なものであり、本格的な毛織物工業の成立は明治時代以後のことである。
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