深緑 夏代(ふかみどり なつよ、1921年9月24日 - 2009年8月31日)は、京城(現在のソウル)出身のシャンソン歌手、音楽講師[1]。元宝塚歌劇団雪組主演娘役の宝塚歌劇団卒業生。
本名は多田 玲子(ただ れいこ)[1]で、愛称はターコさん、タマコさん、ターコ先生など。
- 『カルメン』(雪組、1946年4月22日 - 5月30日、宝塚大劇場)
- 『ファイン・ロマンス』(花組、1947年1月1日 - 1月30日、宝塚大劇場)
- 『再び君が胸に』(花組、1948年7月1日 - 7月30日、宝塚大劇場)
- 関西オペラ公演『カルメン』(1950年11月3日 - 5日、大阪朝日会館)※多田玲子名義での出演
- 『宝塚おどり』(花組・星組合同、1950年12月1日 - 12月28日、宝塚大劇場)
- 『南十字星は輝く』(雪組、1951年7月1日 - 7月30日、宝塚大劇場)
- 『花の風土記』(星組、1951年12月1日 - 12月20日、宝塚大劇場)
- 『シャンソン・ド・パリ』(雪組、1952年6月1日 - 6月29日、宝塚大劇場)
- 『シャンソン・ド・パリ』(花組、1952年7月1日 - 7月30日、宝塚大劇場)
- 『春の踊り』(星組、1954年4月1日 - 4月29日、宝塚大劇場)
- 日本のシャンソン界の大御所中の大御所であり、宝塚歌劇団最長老OG、日本最高齢歌手のひとりであった。
- 宝塚やカルチャースクールで教えた生徒の数はゆうに一万人を超えるといわれている。
- シャンソン教室には、後の月組トップスター古城都も通っていた。(古城談)
- 1960年、当時立教大学の学生だったなかにし礼の才能を見抜き、シャンソンの訳詞を依頼。なかにしの作詞家生活の第一歩を作った。なかにし自身は深緑からたくさんのことを教わったことを語っている[10]。その当時を回想し、なかにしは「あの頃が無かったら作詞家としての自分は無い」「あの時は沢山アルバイト代を頂いて…一番裕福な時期でした」と語っている。深緑が亡くなるまで親交は続き、葬儀では弔辞も述べた[10]。
「深緑夏代さん:シャンソン歌手:肺炎のため8月31日死去87歳」『毎日新聞』 2009年10月14日、26面、社会面。
「94秋の叙勲 都内から518人受章」『読売新聞』1994年11月3日朝刊