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日本の元体操競技選手 ウィキペディアから
米田 功(よねだ いさお、1977年8月20日 - )は、元体操競技選手。株式会社CARTWHEEL(米田功体操クラブ)代表取締役、徳洲会体操クラブ監督、日本体操協会常務理事[1]。大阪府堺市出身。
小学1年生で大阪市の体操クラブに入り、2年後に市内の名門「マック体操クラブ」に移る。その後、強豪の清風中学校・高等学校に進学し、中学2年生の時に全国大会で初優勝[2]、高校時代はインターハイで個人総合2位になる。順天堂大学に進み、1997年の全日本学生選手権個人総合2位、1998年のNHK杯で個人総合優勝。1999年には全日本学生選手権個人総合優勝、全日本選手権の鉄棒で優勝を果たす[1]。
しかし、2000年のNHK杯ではアクシデントに見舞われ7位となり、シドニーオリンピック代表を逃す。 2003年は、大会1週間前に左ふくらはぎ痛を発症して満足な練習ができず、跳馬と平行棒で致命的なミスをして世界選手権は補欠となる[3]。その悔しさから一念発起し同年11月の全日本選手権で初優勝。翌年のNHK杯でも優勝し、日本のエースになった。
2004年、アテネオリンピックでは男子体操の主将を務め、団体で優勝。種目別でも鉄棒で3位に輝いた。同年10月20日に彩の国功労賞を受賞。
2008年、北京オリンピックの代表選考会となるNHK杯で個人総合8位となり代表を逃した。その後、体力と精神力の限界を理由に同年5月6日に引退を表明し、指導者を目指す意向を明らかにした[4]。
引退後は、2012年に自身の体操クラブである米田功体操クラブを設立、2013年1月からは徳洲会体操クラブの監督となる[1]。
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