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鄭 律成(てい りつせい、簡体字中国語: 郑律成、朝鮮語: 정률성 / 정율성、1914年7月7日 - 1976年12月7日)は、朝鮮族の軍歌作曲家、本名は鄭富恩。朝鮮の全羅南道光州(現・光州広域市)生まれ。生涯に代表作の「中国人民解放軍行進曲」「延安頌」「延水謠」をはじめとする360曲を作曲した。2009年に中国政府から「新中国を創建した英雄100人」に選出された。
妻の丁雪松(1918年 - 2011年5月29日)は駐オランダ中国大使等を務めた中国の政治家・外交官。朝鮮族軍人の金仁燮は娘婿[1]。また、韓国の国会議員の鄭成太と鄭斗彦は一族の親戚である[2]。
韓国で鄭律成に対する関心が高まるのに呼応、ハルビンに紀念館できるなど、中国においても、鄭律成への注目度が高まっている。
生家の場所をめぐっては、鄭氏宗親会などで構成された鄭律成記念作業会が「光州市東区不老洞163号」、南区が「光州市南区楊林洞79号」と主張、そのほか全羅南道和順郡とする意見もあり、関係者が鋭く対立していた。そのため光州市が「鄭律成先生生家考証委員会」を立ち上げ、2009年1月に東区・南区ともに生家とすると宣言、生家問題の収拾を図った。
反共を国是とし、朝鮮戦争で戦火を交えるなど中国および北朝鮮と鋭く対立してきた韓国で、中国共産党員として体制称揚に努め、朝鮮戦争で北朝鮮を支援した鄭律成が称えられることはもちろん、広く紹介されることも長くなかった。
そんな鄭律成が韓国で知られるようになったのは、全南大学・湖南学研究院の魯起旭(노기욱)教授によると「グローバル北方外交に便乗したものだ。1992年8月24日、韓・中両国が国交を樹立、修好行事で鄭律成の音楽が演奏された。」[4]
冷戦が終わり脱イデオロギーが進み、中国をはじめとした社会主義国への拒否感が薄まるなか、さらに2000年代に入ると、光州出身ということもあり、「中国の楽聖」「13億の大陸を揺るがした音楽家」等として本格的に注目されはじめる。
中国人観光客が急増した時期にあたり、中国人にアピールできる観光資源(鄭律成ブランド・ 정율성 브랜드)としても歓迎され、生家整備など記念事業も進んだ。光州市は2005年から毎年「鄭律成音楽祭」を開き、鄭律成を「中国における韓流の元祖」として顕彰、経済効果など実益を見据えた中国とのフレンドリー戦略の一つとして大々的に活用するようになった[19]。
だが、詳細が不明な抗日運動家としての経歴のみを強調、金日成にも称賛された共産党員だった人物を顕彰することには、保守派を中心に反対する声もあり、月刊朝鮮は「わが国にどんな行為したか関係なく、観光資源として持ち上げてもいいという発想は拝金主義の典型」と批判[20]。魯起旭教授も、「経歴を見れば光州が熱狂する理由など特にない人物」と疑念を表明していた[21]。
一部批判の声はあったものの、光州市を中心に、音楽祭の開催や生家跡地の整備など鄭律成を顕彰する活動は長く続いていたが、2023年に入ると、嫌中感情の急速な高まりや、コロナ禍により光州を訪れる中国人観光客が途絶えたこと、進歩系の文在寅政権から保守系の尹錫悦政権に代わったことなどで、社会の雰囲気も変化。鄭律成記念事業への批判が強まり、整備内容や名称を変更するなど、事業の見直しが進んでいる。
【文在寅大統領の在任期間 2017年5月10日 - 2022年5月9日】
【尹錫悦大統領の在任期間 2022年5月10日~】
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