香取 (戦艦)
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香取(かとり)は大日本帝国海軍の戦艦[15]。香取型戦艦の1番艦。 艦名は香取神宮(千葉県香取市)に由来する[16]。 艦名は香取型練習巡洋艦1番艦「香取」[17]、海上自衛隊の練習艦「かとり」に引き継がれた。本艦は皇太子時代の大正天皇・昭和天皇の御召艦として、たびたび用いられた。
概要 香取, 基本情報 ...
香取 | |
---|---|
基本情報 | |
建造所 |
ヴィッカース・サンズ社[1] バロー造船所(イギリス・バロー=イン=ファーネス)[2] |
運用者 | 大日本帝国海軍 |
艦種 | 戦艦[3] |
母港 | 舞鶴(1915年4月1日時点)[4][5] |
艦歴 | |
計画 | 第三期拡張計画[6] |
起工 | 1904年4月27日[7][1] |
進水 | 1905年7月4日[7][5][1] |
竣工 | 1906年5月20日[7][8][1] |
除籍 | 1923年9月20日[9] |
その後 | 解体 |
要目(竣工時計画) | |
常備排水量 |
計画:15,950英トン[7][5] 竣工時:15,975英トン[10] |
全長 | 456 ft 3 in (139.07 m)[11] |
垂線間長 | 420 ft 0 in (128.02 m)[7][5][注 1] |
水線幅 | 78 ft 0 in (23.77 m)[7][11][5] |
深さ | 44 ft 0 in (13.41 m)[7] |
吃水 | 27 ft 0 in (8.23 m)[7][5][11] |
ボイラー | ニクロース式缶 20基[7][5] |
主機 | 直立4気筒3段レシプロ 2基[5] |
推進 | 2軸 x 120rpm[7] |
出力 |
計画:16,000馬力[5] 竣工時:16,320馬力[10] |
速力 |
計画:18.5ノット[7][5] 竣工時:20.2ノット[10] |
燃料 | 石炭:1,857トン[7][5] |
航続距離 | 10,000カイリ / 10ノット[7] |
乗員 |
竣工時定員:850名[12] 1920年:815名[5][注 2] |
兵装 |
竣工時[7] 45口径12インチ連装砲 2基 45口径10インチ単装砲 4基 6インチ単装砲 12基 3インチ単装砲 16基 47mm単装砲 3基 45cm水中発射管 5門 1920年[5] 毘式30cm砲 4門[注 3] 毘式25cm砲 4門 毘式15cm砲 12門 四一式8cm砲 8門(4門子砲) 1号8cm砲 6門 四一式短8cm砲 2門 麻式6.5mm機砲 3挺 水中発射管 5門 探照灯 6基[5] |
装甲 |
舷側:9in(228.6mm)-6in(152.4mm)KC鋼[13] 甲板:3in(76.2mm)-2in(50.8mm)[13] 砲塔:12in(304.8mm)-5in(127mm)[13] 砲郭:9in(228.6mm)[13] 司令塔:9in(228.6mm)[13] |
搭載艇 | 1922年:56ft(フィート)ペデットボート(艦載水雷艇)2隻、36ft小蒸気船1隻、40ftランチ1隻、32ftピンネース1隻、30ftカッター3隻、30ft通船1隻、27ft通船1隻、20ft通船1隻[14] |
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香取と鹿島は日露戦争に備えて日本海軍がイギリスに発注した戦艦で、キング・エドワードVII世級戦艦を模範に発展させた準弩級戦艦である[18]。香取はヴィッカース社で、鹿島はアームストロング社で建造された[19]。日本海海戦の勝利により早期に戦争が終結し、就役は戦後の1906年(明治39年)のこととなった[20]。戦艦「鹿島」も同型だが、工事期間が短く、また費用を圧縮するため細部は造船所に一任したため多少の違いが見られる[20]。ただし、一般的に「香取」と「鹿島」は姉妹艦として扱われる[21][16][22]。