1951年のインディ500
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第35回インターナショナル500マイル・スィープステークス (35th International 500-Mile Sweepstakes) は1951年5月30日(水)にインディアナポリス・モーター・スピードウェイで開催された。本レースは1951年のAAAナショナル・チャンピオンシップ・トレイルの1戦として開催された。また、1951年のF1世界選手権の第2戦としても行われ、世界選手権ポイントが与えられた。
1951年のインディ500 | |||
前年: | 1950 | 翌年: | 1952 |
概要 レース詳細, 日程 ...
レース詳細 | |
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日程 | 1951年のF1世界選手権 |
決勝開催日 | 5月30日 |
開催地 |
インディアナポリス・モーター・スピードウェイ インディアナ州スピードウェイ |
ポールポジション | |
ドライバー | デューク・ナロン |
ファステストラップ | |
ドライバー | リー・ウォラード |
決勝順位 | |
優勝 | リー・ウォラード |
2位 | マイク・ナザルク |
3位 |
ジャック・マクグラース マニー・アユロ |
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2年連続でヨーロッパを拠点とするF1チームのエントリーはな無かった。
1949年にクラッシュで重度の火傷を負い、1950年に出場できなかったデューク・ナロンがポールポジションを獲得し、復活を遂げた。
多くのトラブルが発生し、完走車両は8台のみであった。優勝したリー・ウォラードの車はブレーキを失い、排気管が破損し、ショックアブソーバーのマウントも壊れていた[1][2]。耐えがたく不愉快な乗り心地に加え、ウォラードはホウ砂の水溶液に浸して作成された耐火服を身につけていた。下着を着けていなかったため、ウォラードは重度の擦り傷を負い、優勝の祝賀走行の後病院での治療が必要であった[2]。彼はレースの間に15ポンドは痩せたと見積もられた[2]。
ウォラードの車両は出場車両の中で最も小さい排気量であった。レースのおよそ1週間後、ウォラードはペンシルベニア州レディングで激しい火傷を負い、そのため事実上プロとしてのレース経歴を終わらせることとなった。
3度の優勝経験を持つマウリ・ローズは、自身15回目のインディ500において126ラップ目にクラッシュし宙返りした。クラッシュの後リタイアとなったが、今回が彼にとって最後のインディ500となった。