1971年のワールドシリーズ
メジャーリーグベースボールの第68回優勝決定シリーズ / ウィキペディア フリーな encyclopedia
1971年の野球において、メジャーリーグベースボール(MLB)優勝決定戦の第68回ワールドシリーズ(だい68かいワールドシリーズ、68th World Series)は、10月9日から17日にかけて計7試合が開催された。その結果、ピッツバーグ・パイレーツ(ナショナルリーグ)がボルチモア・オリオールズ(アメリカンリーグ)を4勝3敗で下し、11年ぶり4回目の優勝を果たした。
概要
1971年のワールドシリーズ | |||||||
| |||||||
シリーズ情報 | |||||||
試合日程 | 10月9日–17日 | ||||||
観客動員 | 7試合合計:35万1081人 1試合平均:05万0154人 | ||||||
MVP | ロベルト・クレメンテ(PIT) | ||||||
ALCS | BAL 3–0 OAK | ||||||
NLCS | PIT 3–1 SF | ||||||
殿堂表彰者 | ロベルト・クレメンテ(PIT外野手) ビル・マゼロスキー(PIT内野手) ウィリー・スタージェル(PIT外野手) アール・ウィーバー(BAL監督) ジム・パーマー(BAL投手) ブルックス・ロビンソン(BAL内野手) フランク・ロビンソン(BAL外野手) ネスター・チャイラク(審判員) | ||||||
チーム情報 | |||||||
ピッツバーグ・パイレーツ(PIT) | |||||||
シリーズ出場 | 11年ぶり6回目 | ||||||
GM | ジョー・L・ブラウン | ||||||
監督 | ダニー・マートー | ||||||
シーズン成績 | 097勝65敗・勝率.599 NL東地区優勝 | ||||||
分配金 | 選手1人あたり1万8164.58ドル[1] | ||||||
| |||||||
ボルチモア・オリオールズ(BAL) | |||||||
シリーズ出場 | 03年連続5回目 | ||||||
GM | ハリー・ダルトン | ||||||
監督 | アール・ウィーバー | ||||||
シーズン成績 | 101勝57敗・勝率.623 AL東地区優勝 | ||||||
分配金 | 選手1人あたり1万3906.46ドル[1] | ||||||
全米テレビ中継 | |||||||
放送局 | NBC | ||||||
実況 | カート・ガウディ | ||||||
解説 | チャック・トンプソン(第1・2・6・7戦) ボブ・プリンス(第3~5戦) | ||||||
平均視聴率 | 24.2%(前年比4.8ポイント上昇)[2] | ||||||
ワールドシリーズ
|
閉じる
両チームの対戦はシリーズ史上初めて。第4戦はシリーズ史上初の夜間試合として開催され、NBCによる全米テレビ中継では最終第7戦をも上回る今シリーズ最高の視聴率を記録した[注 1][3]。MLBの総収入における割合をみると、1970年頃にはテレビ放映権料が入場料を上回っており、これを受けて翌年以降も夜間試合が増えていくこととなる[4]。シリーズMVPには、全7試合で安打を放ち打率.414・2本塁打・4打点・OPS 1.210という成績を残したパイレーツのロベルト・クレメンテが選出された。クレメンテは前回出場した1960年シリーズでも全7試合で安打を放っており、シリーズ通算14試合連続安打は、ハンク・バウアーの17試合に次いで当時2番目に長い記録だった[注 2][5]。ただ、クレメンテは1972年12月に航空事故で死亡し、記録をさらに伸ばすことはできなかった。