1971年のアメリカンリーグチャンピオンシップシリーズ
メジャーリーグベースボールの第3回アメリカンリーグ優勝決定シリーズ / ウィキペディア フリーな encyclopedia
1971年の野球において、メジャーリーグベースボール(MLB)のポストシーズンは10月2日に開幕した。アメリカンリーグの第3回リーグチャンピオンシップシリーズ(3rd American League Championship Series、以下「リーグ優勝決定戦」と表記)は、翌3日から5日にかけて計3試合が開催された。その結果、ボルチモア・オリオールズ(東地区)がオークランド・アスレチックス(西地区)を3勝0敗で下し、3年連続5回目のリーグ優勝およびワールドシリーズ進出を果たした。
概要
1971年のアメリカンリーグ チャンピオンシップシリーズ | |||||||
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シリーズ情報 | |||||||
試合日程 | 10月3日–5日 | ||||||
観客動員 | 3試合合計:11万0800人 1試合平均:03万6933人 | ||||||
殿堂表彰者 | アール・ウィーバー(BAL監督) ジム・パーマー(BAL投手) ブルックス・ロビンソン(BAL内野手) フランク・ロビンソン(BAL外野手) ディック・ウィリアムズ(OAK監督) ローリー・フィンガーズ(OAK投手) キャットフィッシュ・ハンター(OAK投手) レジー・ジャクソン(OAK外野手) | ||||||
チーム情報 | |||||||
ボルチモア・オリオールズ(BAL) | |||||||
シリーズ出場 | 3年連続3回目 | ||||||
GM | ハリー・ダルトン | ||||||
監督 | アール・ウィーバー | ||||||
シーズン成績 | 101勝57敗・勝率.639 東地区優勝 | ||||||
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オークランド・アスレチックス(OAK) | |||||||
シリーズ出場 | シリーズ開始3年目で初 | ||||||
GM | チャーリー・O・フィンリー | ||||||
監督 | ディック・ウィリアムズ | ||||||
シーズン成績 | 101勝60敗・勝率.627 西地区優勝 | ||||||
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ワールドシリーズ |
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レギュラーシーズンで100勝以上を挙げた球団どうしがリーグ優勝決定戦で対戦するのは、シリーズ開始3年目でこれが初めて[1]。レギュラーシーズンでは両球団は11試合対戦し、オリオールズが7勝4敗と勝ち越していた[2]。オリオールズは3連勝でリーグ優勝決定戦を突破したが、ワールドシリーズではナショナルリーグ王者ピッツバーグ・パイレーツに3勝4敗で敗れ、2年連続3度目の優勝を逃した。
シーズン終了後、両チームはともにウインターミーティングで他球団とのトレードを成立させた。その結果、両球団の力関係は翌1972年以降逆転した[3]。アスレチックスは左腕投手ケン・ホルツマンを獲得した[注 1]。先発ローテーションを強化したことにより、アスレチックスは1972年からアメリカンリーグ、そしてワールドシリーズを3連覇する。一方のオリオールズは中心打者フランク・ロビンソンを放出した[注 2]。彼が抜けたあとのオリオールズは外野陣が揃って打撃不振に陥り、1972年は地区3位に沈む。続く1973年・1974年は地区優勝こそしたものの、いずれもリーグ優勝決定戦でアスレチックスに敗れた。