1973年のワールドシリーズ
メジャーリーグベースボールの第70回優勝決定シリーズ / ウィキペディア フリーな encyclopedia
1973年の野球において、メジャーリーグベースボール(MLB)優勝決定戦の第70回ワールドシリーズ(70th World Series)は、10月13日から21日にかけて計7試合が開催された。その結果、オークランド・アスレチックス(アメリカンリーグ)がニューヨーク・メッツ(ナショナルリーグ)を4勝3敗で下し、2年連続7回目の優勝を果たした。
概要
1973年のワールドシリーズ | |||||||
第3戦前に打撃練習を行うアスレチックスのレジー・ジャクソン。今シリーズのMVPを受賞した | |||||||
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シリーズ情報 | |||||||
試合日程 | 10月13日–21日 | ||||||
観客動員 | 7試合合計:35万8289人 1試合平均:05万1184人 | ||||||
MVP | レジー・ジャクソン(OAK) | ||||||
ALCS | OAK 3–2 BAL | ||||||
NLCS | NYM 3–2 CIN | ||||||
殿堂表彰者 | ディック・ウィリアムズ(OAK監督) ローリー・フィンガーズ(OAK投手) キャットフィッシュ・ハンター(OAK投手) レジー・ジャクソン(OAK外野手) ヨギ・ベラ(NYM監督[注 1]) ウィリー・メイズ(NYM外野手) トム・シーバー(NYM投手) | ||||||
チーム情報 | |||||||
オークランド・アスレチックス(OAK) | |||||||
シリーズ出場 | 2年連続10回目 | ||||||
GM | チャーリー・O・フィンリー | ||||||
監督 | ディック・ウィリアムズ | ||||||
シーズン成績 | 94勝68敗・勝率.580 AL西地区優勝 | ||||||
分配金 | 選手1人あたり2万4617.57ドル[1] | ||||||
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ニューヨーク・メッツ(NYM) | |||||||
シリーズ出場 | 4年ぶり02回目 | ||||||
GM | ボブ・シェフィング | ||||||
監督 | ヨギ・ベラ | ||||||
シーズン成績 | 82勝79敗・勝率.509 NL東地区優勝 | ||||||
分配金 | 選手1人あたり1万4950.18ドル[1] | ||||||
全米テレビ中継 | |||||||
放送局 | NBC | ||||||
実況 | カート・ガウディ | ||||||
解説 | トニー・クーベック(全試合) モンテ・ムーア(第1・2・6・7戦) リンジー・ネルソン(第3~5戦) | ||||||
平均視聴率 | 30.7%(前年比3.1ポイント上昇)[2] | ||||||
ワールドシリーズ
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両チームの対戦はシリーズ史上初めて。アスレチックスのシリーズ連覇は1961年・1962年のニューヨーク・ヤンキース以来11年ぶりであり、また球団史上では1910年・1911年と1929年・1930年に次いで3度目の達成だった。しかしシリーズ終了直後、監督のディック・ウィリアムズがオーナー兼GMのチャーリー・O・フィンリーとの不和から、契約を1年残して辞任しヤンキース移籍を画策するという騒動が起きている[注 2][3]。シリーズMVPには、最終第7戦で2点本塁打を放つなど、7試合で打率.310・1本塁打・6打点・OPS.941という成績を残したアスレチックスのレジー・ジャクソンが選出された。またアスレチックスの選手では、ダロルド・ノウルズが全7試合に登板した史上初の投手となったほか[4]、オラシオ・ピーニャはメキシコ出身選手として19年ぶり2人目のシリーズ出場者[注 3][5]、そして優勝を経験した史上初の選手となった[6]。
この年からMLBでは、アメリカンリーグでのみ指名打者(DH)制度が導入された。しかしワールドシリーズでは、今回から1975年までの3年間、DH制は一切採用されていない[7]。