1976年のワールドシリーズ
メジャーリーグベースボールの第73回優勝決定シリーズ / ウィキペディア フリーな encyclopedia
1976年の野球において、メジャーリーグベースボール(MLB)優勝決定戦の第73回ワールドシリーズ(だい73かいワールドシリーズ、73rd World Series)は、10月16日から21日にかけて計4試合が開催された。その結果、シンシナティ・レッズ(ナショナルリーグ)がニューヨーク・ヤンキース(アメリカンリーグ)を4勝0敗で下し、2年連続4回目の優勝を果たした。
概要
1976年のワールドシリーズ | |||||||
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シリーズ情報 | |||||||
試合日程 | 10月16日–21日 | ||||||
観客動員 | 4試合合計:22万3009人 1試合平均:05万5752人 | ||||||
MVP | ジョニー・ベンチ(CIN) | ||||||
ALCS | NYY 3–2 KC | ||||||
NLCS | CIN 3–0 PHI | ||||||
殿堂表彰者 | スパーキー・アンダーソン(CIN監督) ジョニー・ベンチ(CIN捕手) ジョー・モーガン(CIN内野手) トニー・ペレス(CIN内野手) ヨギ・ベラ(NYYコーチ[注 1]) ボブ・レモン(NYYコーチ[注 2]) キャットフィッシュ・ハンター(NYY投手) | ||||||
チーム情報 | |||||||
シンシナティ・レッズ(CIN) | |||||||
シリーズ出場 | 02年連続08回目 | ||||||
GM | ボブ・ホーサム | ||||||
監督 | スパーキー・アンダーソン | ||||||
シーズン成績 | 102勝60敗・勝率.630 NL西地区優勝 | ||||||
分配金 | 選手1人あたり2万6366.68ドル[1] | ||||||
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ニューヨーク・ヤンキース(NYY) | |||||||
シリーズ出場 | 12年ぶり30回目 | ||||||
GM | ゲイブ・ポール | ||||||
監督 | ビリー・マーチン | ||||||
シーズン成績 | 097勝62敗・勝率.610 AL東地区優勝 | ||||||
分配金 | 選手1人あたり1万9935.48ドル[1] | ||||||
全米テレビ中継 | |||||||
放送局 | NBC | ||||||
実況 | ジョー・ガラジオーラ・シニア | ||||||
解説 | トニー・クーベック(全試合) マーティー・ブレナマン(第1・2戦) フィル・リズート(第3・4戦) | ||||||
平均視聴率 | 27.5%(前年比1.2ポイント下降)[2] | ||||||
ワールドシリーズ
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両チームの対戦は、1939年と1961年に次いで今回が3度目。過去2度はいずれもヤンキースが勝利していたが、今回はレッズが4戦全勝でヤンキースを退けた。レッズはナショナルリーグ優勝決定戦でもフィラデルフィア・フィリーズ相手に3戦全勝としており、ポストシーズンを全勝で終えた。リーグ優勝決定戦が導入された1969年以降、ポストシーズン全勝優勝は今回のレッズが初であり[3]、2024年現在も史上唯一である。シリーズMVPには、優勝が決まった第4戦で2本塁打・5打点を記録するなど、4試合で打率.533・2本塁打・6打点・OPS 1.667という成績を残したレッズのジョニー・ベンチが選出された。
MLBにおいて指名打者(DH)制度は、1973年にアメリカンリーグでのみ導入された。しかしワールドシリーズでは、同年から1975年までの3年間、DH制は一切採用されなかった。今シリーズより規則が変更され、偶数年は全試合で採用、奇数年は全試合で不採用となった[4]。したがって今シリーズは、DH制ありの試合が行われた初のシリーズである。両チームのDHを比較すると、レッズは4試合ともダン・ドリーセンが務めて打率.357だったのに対し、ヤンキースは3選手が試合ごとに入れ替わりながら打率.063と低迷した[5]。