1979年のワールドシリーズ
メジャーリーグベースボールの第76回優勝決定シリーズ / ウィキペディア フリーな encyclopedia
1979年の野球において、メジャーリーグベースボール(MLB)優勝決定戦の第76回ワールドシリーズ(76th World Series)は、10月10日から17日にかけて計7試合が開催された。その結果、ピッツバーグ・パイレーツ(ナショナルリーグ)がボルチモア・オリオールズ(アメリカンリーグ)を4勝3敗で下し、8年ぶり5回目の優勝を果たした。
1979年のワールドシリーズ | |||||||
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シリーズ情報 | |||||||
試合日程 | 10月10日–17日 | ||||||
観客動員 | 7試合合計:36万7597人 1試合平均:05万2514人 | ||||||
MVP | ウィリー・スタージェル(PIT) | ||||||
ALCS | BAL 3–1 CAL | ||||||
NLCS | PIT 3–0 CIN | ||||||
殿堂表彰者 | バート・ブライレブン(PIT投手) ウィリー・スタージェル(PIT内野手) アール・ウィーバー(BAL監督) フランク・ロビンソン(BALコーチ[注 1]) エディ・マレー(BAL内野手) ジム・パーマー(BAL投手) | ||||||
チーム情報 | |||||||
ピッツバーグ・パイレーツ(PIT) | |||||||
シリーズ出場 | 8年ぶり7回目 | ||||||
GM | ハーディング・ピーターソン | ||||||
監督 | チャック・タナー | ||||||
シーズン成績 | 098勝64敗・勝率.605 NL東地区優勝 | ||||||
分配金 | 選手1人あたり2万8263.87ドル[1] | ||||||
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ボルチモア・オリオールズ(BAL) | |||||||
シリーズ出場 | 8年ぶり6回目 | ||||||
GM | ハンク・ピーターズ | ||||||
監督 | アール・ウィーバー | ||||||
シーズン成績 | 102勝57敗・勝率.643 AL東地区優勝 | ||||||
分配金 | 選手1人あたり2万2113.94ドル[1] | ||||||
全米テレビ中継 | |||||||
放送局 | ABC | ||||||
実況 | キース・ジャクソン(第1・2・6・7戦) アル・マイケルズ(第3・4・5戦) | ||||||
解説 | ドン・ドライスデール ハワード・コーセル | ||||||
平均視聴率 | 28.5%(前年比4.3ポイント下降)[2] | ||||||
ワールドシリーズ
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両チームの対戦は、1971年以来8年ぶり2回目。対戦カードだけでなく、10月17日の最終第7戦にパイレーツが勝って4勝3敗で優勝、という結果も8年前のシリーズと同じである[3]。7戦4勝制のシリーズにおいて、1勝3敗からの逆転優勝と2勝3敗から敵地2連勝での逆転優勝は、いずれも1968年のデトロイト・タイガース以来11年ぶりで、前者は4回目、後者は6回目[注 2][4]。シリーズMVPには、最終第7戦で逆転・決勝の2点本塁打を含む4安打を放つなど、7試合で打率.400・3本塁打・7打点・OPS 1.208という成績を残したパイレーツのウィリー・スタージェルが選出された。スタージェルは、今シリーズに先立つレギュラーシーズンとナショナルリーグ優勝決定戦でもMVPを受賞しており、1年で3つのMVPを総なめにした史上初の選手となる[注 3][5]。
この年の1月には、アメリカンフットボール・NFLの第13回スーパーボウルでもピッツバーグ・スティーラーズが優勝していた。これによりペンシルベニア州ピッツバーグは、1969年のニューヨーク州ニューヨーク以来10年ぶりに、同じ年にスーパーボウルとワールドシリーズの両方を制した都市となった[注 4][6]。スーパーボウルMVPのテリー・ブラッドショーと今シリーズMVPのスタージェルはこの年12月、雑誌『スポーツ・イラストレイテッド』選出のスポーツメン・オブ・ザ・イヤー賞を共同受賞した[7]。さらに1980年1月、スティーラーズは第14回スーパーボウルに勝利し連覇を達成した。12か月間でスーパーボウルとワールドシリーズを合わせて3回連続で制した都市は、ピッツバーグが史上初である[注 5][6]。
ワールドシリーズでは1976年から指名打者(DH)制度が導入され、1985年までの10年間は、偶数年は全試合で採用、奇数年は全試合で不採用とされていた[8]。したがって今シリーズでは、DH制は採用されていない。