2003年台湾におけるSARSの流行
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2020年1月以降に拡大している『SARS-CoV-2(COVID-19)』による「台湾における2019年コロナウイルス感染症の流行状況」とは異なります。 |
2003年台湾におけるSARSの流行(2003ねんたいわんにおけるサーズのりゅうこう)は2003年に世界各国で感染が拡大(エピデミック)した重症急性呼吸器症候群(SARS)のうち、台湾(ここでは中華民国が実効支配する台澎金馬を指す)における流行状況について述べる。以下本文中における組織名および地域名は2003年当時のものを用いる。
疾病 | 重症急性呼吸器症候群 |
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ウイルス株 | SARSコロナウイルス(SARS-Cov) |
場所 | 中国 広東省 |
出現した日付 | 2003年3月14日 |
確定症例数 | 347 |
疑い症例数‡ | 318(うち死亡107)[1]:22-23 |
回復者数 | 273 |
死者数 | 37(うち自殺1) |
‡疑い症例数とは、他の病原が除外されたかもしれないが、臨床検査でその株が病原であることが確認されていない症例数のことである。 |
2003年3月、SARSの世界的アウトブレイク(中国語版、英語版)が発生すると、その影響は台湾にも及んだ。病原体も伝染経路も治療方法も不明なSARSが侵入すると、台湾は世界保健機関(WHO)非加盟であり、リアルタイムでの情報取得や支援がなされず、社会は恐怖に陥れられた。
WHOとアメリカ疾病予防管理センター(米国CDC)によりそれらが徐々に解明されてくると、台湾はただちに防疫を開始した。当初は単純に域外流入症例のみだったが、台北市の和平医院(中国語版)での院内感染を中心に市中感染へと拡大し、中南部にも及んだ。行政院衛生署(衛生福利部の前身。以下衛生署)だけではなく行政院に直属する大陸委員会、内政部、国防部、経済部、新聞局、教育部などの各部会(省庁)が総動員で対応にあたり、2003年7月にWHOが感染指定地域から台湾を除外したことで終息した[2][3]。
台湾におけるSARS禍の特徴は院内感染が発生した病院の封鎖とそれによる1人の自殺例で社会に衝撃を与えたこと、およびスーパー・スプレッダーの存在により実効再生産率(1人の感染者が何人に感染を広げるかの指数)が香港やカナダ同様急速に上昇したこと、また、発症から死亡に至るまでが10日と、北京(24日)や香港(20日)に比べて極めて短期間だった(この原因は2020年時点でも解明されていない)ことなどが挙げられる[4]。