MAMレコード
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MAMレコード (MAM Records) は、マネジメント会社であるマネジメント・エージェンシー&ミュージック・リミテッド (Management Agency & Music Ltd., MAM) が1970年に立ち上げたレコード・レーベル。ゴードン・ミルズ(英語版)とトム・ジョーンズが創業し、デッカ・レコードが流通を担った。MAMから最初にリリースされたシングルは、1970年のデイヴ・エドモンズのシングル「アイ・ヒア・ユー・ノッキング (I Hear You Knocking)」であった。同年の遅い時期にはギルバート・オサリヴァンが「ナッシング・ライムド (Nothing Rhymed)」を皮切りに MAM での一連のヒット作を出し始め[1][2]、1971年にはヒット作となったアルバム『ギルバート・オサリヴァンの肖像 (Himself)』が MAM から出た[3]。さらにオサリヴァンのアルバム『バック・トゥ・フロント (Back to Front)』[4]、『アイム・ア・ライター(1本のペンがあれば)(I'm a Writer, Not a Fighter)』[5]、『彷徨とぬくもりと/オサリヴァンの系譜 (A Stranger In My Own Back Yard)』[6]が次々にヒットした。
1972年には、リンジー・ディ・ポールがこのレーベルと契約し、「シュガー・ミー (Sugar Me)」に始まる一連のヒット・シングルを出し始めた[7]。彼女のデビュー・アルバム『サプライズ (Surprise)』も1973年に MAM からリリースされ[8]、1974年にはベスト・アルバムとして制作されたコンピレーション・アルバム『The World of Lynsey de Paul(別名:Lynsey Sings)』も出た[9]。エンゲルベルト・フンパーディンクも MAM に録音を残した重要なアーティストであったが、これはゴードン・ミルズがフンパーディンクのマネージャーだったためである。ヒットには至らなかったが、フランク・アイフィールド(英語版)もこのレーベルから複数のシングルを出しており[10]、他にもジョニー・ナッシュ(英語版)[11]、リーピー・リー(英語版)[12]、ティナ・チャールズ(英語版)[13]らのシングルもリリースされた。1970年代半ばには、MAMレコードの流通は EMI に切り替えられた[14]。
同社は、1970年代前半において、イギリスで最も成功したレコード会社のひとつであった。事業は多角化され、一時はスロットマシンから航空事業まで広がったが、1970年代末にはRCAビクターなどのアメリカ合衆国の企業に市場を奪われていた。
1980年代に入り、同社はクリサリス・レコードに売却された。1991年にクリサリスが EMI に売却されたため、かつて MAM が権利を保有していた録音の多くは、EMI から再発売されるようになっている。