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さんらもん丸
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さんらもん丸(さんらもんまる)は、かつて三菱商事船舶部(1943年6月に三菱汽船となる)が所有・運航したタンカー。
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船歴
三菱商事が「さんぺどろ丸」級タンカーの改良型として、1935年(昭和10年)に三菱重工業長崎造船所で建造したタンカーで、「さんらもん丸」級2隻の1番船である。同型船としては、2番船の「さんくれめんて丸」があるほか、準同型の「さんぺどろ丸」級として「さんぢゑご丸」「さんるいす丸」「第一小倉丸」「第二小倉丸」が建造されている。
竣工後は主に北米~横浜間の石油輸送に従事していたが、アメリカの石油輸出制限後は目的地がボルネオ島に変更された。太平洋戦争勃発直後の1941年(昭和16年)12月23日に日本海軍により徴用され、海軍一般徴用船となった。1943年(昭和18年)9月1日には特設運送船(給油船)に移籍した。
1943年(昭和18年)11月4日にボルネオのミリで原油10,600トンを積み、途中で第221船団に加わって日本を目指したが、済州島から門司へ航行中の11月27日午前0時過ぎにアメリカの潜水艦シーホースの雷撃に遭い右舷に被雷。さらに午前1時半には左舷にも被雷し、約10分後に沈んだ。船長を含め28名が戦死した。
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2代目
太平洋戦争後に三菱汽船の後身である三菱海運のタンカーとして同名の二代目船が建造されている。1954年(昭和29年)に竣工後、原油輸送に活躍。1964年(昭和39年)4月1日、三菱海運が日本郵船と合併したため日本郵船に移籍。1969年(昭和44年)8月11日、パナマのLimsan Corp. S.Aに売却され、Limmonに改名。以降の消息は不明である[2]
脚注
参考文献
外部リンク
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