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イーメイ・ウドカ

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イーメイ・ウドカ
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イーメイ・サンデイ・ウドカIme Sunday Udoka, 1977年8月9日 - )は、ナイジェリアの元プロバスケットボール選手であり、現在は指導者。アメリカ合衆国オレゴン州ポートランド出身。NBAヒューストン・ロケッツでヘッドコーチを務めている。現役時代のポジションはスモールフォワード

概要 ヒューストン・ロケッツ HC, 役職 ...
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経歴

要約
視点

ポートランド州立大学を卒業後、ウドカのキャリアはNBAデベロップメント・リーグのチャールストン・ロウガトーズ(現:フロリダ・フレイム)で始まった。

2004年1月14日ロサンゼルス・レイカーズと契約したがすぐに放出された。再びDリーグに戻ったウドカはフォートワース・フライヤーズでプレイし、試合平均17.1得点6.2リバウンドの成績を残した。

2006年4月6日ニューヨーク・ニックスと契約したが、同年9月11日には放出された。

ウドカは地元ポートランドに戻り、新たな契約を得るために自主練習を行っていた。場所柄、ポートランド・トレイルブレイザーズの選手たちと練習を共にしていたが、10月に入って各チームのキャンプが始まっても契約が得られない状態が続いていた。折しも、ブレイザーズのアーロン・マイルズが健康診断に引っかかり、チームのロスター枠が1つ空いたところでブレイザーズの選手たちがウドカをキャンプに呼ぶように進言した。キャンプ中に父の死などの不幸に見舞われたが、ウドカはコーチ陣を唸らせる活躍を見せ、見事に開幕ロスターに残った。更には開幕戦から先発スモールフォワードの座をも勝ち取り、結局その年は75試合に全て先発で出場、平均出場時間28.6分で8.4得点、3.7リバウンド、0.9スティールの成績を残した。このシーズンに、NBA入りしたラマーカス・オルドリッジと共にプレーした経験が、後にFAとなったオルドリッジをサンアントニオ・スパーズに呼び込む大きな力となった[1][2]

2007年8月16日サンアントニオ・スパーズと契約。推定2年200万ドルの契約であると見られている。スパーズではブルース・ボーエンの控えとしてプレイした。その後、サクラメント・キングス、ニュージャージ-・ネッツ、スペインリーグでプレーした後、2012年8月サンアントニオ・スパーズに、アシスタントコーチとして加入した[3]

2019年6月、かつてのスパーズアシスタントコーチであったブレット・ブラウンヘッドコーチのもとでフィラデルフィア・セブンティシクサーズのアシスタントコーチを務めることが報じられた[4]

2021年6月28日、GMに鞍替えしたブラッド・スティーブンスの後任としてボストン・セルティックスのHC就任。プレイオフでは、プレイインから勝ち上がったブルックリン・ネッツ、前年覇者ミルウォーキー・バックス、2年前に敗れたマイアミ・ヒートを下し、チームを12年ぶりのNBAファイナルに導き、ゴールデンステイト・ウォリアーズに敗れたものの王者相手に2勝4敗と善戦するなど、就任初年度で手腕が発揮された。

しかし、球団の女性職員との不適切な関係が報じられ、セルティックスは2022年9月22日、1年間職務停止処分することが発表され、2022-23シーズン全試合出場停止することになった[5][6]

2023年4月25日、ヒューストン・ロケッツのHCに就任した。[7]

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プレイスタイル

体格には恵まれていないが、タフなディフェンスと、スリーポイントを得意としていた。スパーズでは長らく守備の要であったブルース・ボウエンの後継者として期待されていた。ナイジェリア代表チームではガードを務めるなどの器用さも合わせ持っていた。

個人成績

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NBAレギュラーシーズン

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NBAプレーオフ

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その他

父がナイジェリア出身であることからナイジェリア国籍を持ち、日本で開かれた2006年バスケットボール世界選手権ではナイジェリア代表チームに選出された。母ムフォン・ウドカWNBAの元選手。

脚注

関連項目

外部リンク

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