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アイル・ビー・オン・マイ・ウェイ

レノン=マッカートニーによって作曲された楽曲 ウィキペディアから

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アイル・ビー・オン・マイ・ウェイ」(I'll Be on My Way)は、ポール・マッカートニーによって作曲された楽曲である。作曲者のクレジットにはジョン・レノンとの共同名義であるレノン=マッカートニーが使用されている。マッカートニーがデビュー前に書いた本作は、バディ・ホリーからの影響が見受けられる。1963年にビリー・J・クレイマー&ザ・ダコタスに提供され、4月26日にシングル『ドゥ・ユー・ウォント・トゥ・ノウ・ア・シークレット』のB面曲として発売された。

概要 「アイル・ビー・オン・マイ・ウェイ」, ビートルズの楽曲 ...

4月4日にはビートルズBBCラジオの番組『Side by Side』(6月24日放送)用にレコーディングを行っており、当時の演奏が1994年に発売された『ザ・ビートルズ・ライヴ!! アット・ザ・BBC』に収録された。

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背景・曲の構成

要約
視点

「アイル・ビー・オン・マイ・ウェイ」は、ポール・マッカートニーが1959年の前半に書いた楽曲で、作曲者のクレジットはレノン=マッカートニー名義となっている[2][注釈 1]ジョン・レノンは、1980年の『プレイボーイ』誌のインタビューで、「完全にポールの曲。そういうふうに聞こえないかい?トラ・ラ・ラ・ラ・ラ(笑)田舎道をドライブしている時にポールが余興で作った曲さ」と語っている[4]。マッカートニーは本作の作曲で初めて手にしたフラムス英語版社のアコースティック・ギターを使っていて、『ザ・ビートルズ・アンソロジー』内で「『ミッシェル』や『アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア』といった、僕が初めて書いた曲はすべてゼニスを使っている。このギターで『トゥエンティ・フライト・ロック英語版』を習得して、クオリーメンに入った」と回想している[5]。作曲当初はメロディのみであったが、ビートルズのライブのレパートリーに加えられてから数年後に肉付けされた[6][注釈 2]

本作にはバディ・ホリーからの大きな影響が見受けられる。音楽評論家のイアン・マクドナルド英語版は、「少し速めのテンポで演奏すると、バディ・ホリーのシンプルな3コードの進行に対する恩義があらわになる」と述べている[8]。エヴェレットも「デュエットのリフレイン」を引き合いに、これに同意している[9]。ルイソンも本作について「Hollyesque(ホリーエスク)」と呼んでいる[6]。歴史家のケネス・ウォマック英語版もホリーの「もうおしまい」からの影響について言及している[1]。ギターのイントロにおける半音階のフレーズは、ザ・クリケッツ英語版のカバー曲「ドント・エヴァー・チェンジ英語版」に由来する[10]。11小節目以降、マッカートニーはレノンよりも3半音高い平行調で歌っているが、これはホリーのボーカルのダブルトラッキングから派生した技法となっている[10]。歌詞の中では「June light」と「moonlight」というかたちで韻を踏んでいる[11]。ルイソンは「As the June light turns to moonlight(六月の光が月の光に変わるとき)」というフレーズを例に挙げ、シンプルで魅力的なメロディなのだが、歌詞には普段の彼らなら絶対に使わないようなフレーズが入っていると述べている[12]

レノンは本作でマッカートニーとともにリード・ボーカルを務めてハーモニーを加えているが、本作を嫌っていた[6]。ルイソンはレノンの意思表示について歌詞が「この道をぼくは行くのだろう」の一節に来たときで、ジョンは突然顔をゆがめ、「せむし男」のように背中を丸めてマイクのコードを巻きつけるという突飛な行動に出た。ポールは一緒に笑いに乗っかるしかなかったと書いている[13][14]

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レコーディング

マッカートニーは、ビリー・J・クレイマー&ザ・ダコタスによるレコーディングに向けて、本作のデモ音源を作成[10]。ザ・ダコタスのギタリストであるマイク・マックスフィールド英語版は、デモ音源が収録されたアセテート盤を所有していて、ビートルズのメンバー全員で演奏していることを主張しているが、この主張は未だに実証されていない[15]

1963年4月4日、ビートルズはロンドンにあるBBCパリス・シアター英語版で、ブライアント・マリオットのプロデュースのもとで本作を録音[1]。この時の演奏は、同年6月24日にBBCラジオの番組『Side by Side』で放送された[8][11]。エヴェレットは、著書の中でジョージ・ハリスンによるギターソロの特徴について、エルヴィス・プレスリーの「ジャスト・ビリーヴ英語版」や「監獄ロック」でのスコッティ・ムーアジェリー・リー・ルイスの「リヴィン・ラヴィン・レック」を引き合いに書いている[16]。本作は、レノン=マッカートニーの作品でビートルズがBBCラジオの番組用にレコーディングを行った後に、スタジオでのレコーディングを行わなかった唯一の楽曲となっている[1]

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リリース・評価

エヴェレットは、著書の中でビートルズによるレコーディングは、クレイマーのレコードの宣伝が目的であることを示唆している[10]。ビートルズによる「アイル・ビー・オン・マイ・ウェイ」は、1970年代から1980年代にかけて複数の海賊盤で流通[17]し、1994年に発売された『ザ・ビートルズ・ライヴ!! アット・ザ・BBC』に収録された[18][8]

マクドナルドは、本作の歌詞と音楽性について「嘲笑的なまでにうぶ」と評している[8]。エヴェレットは、著書の中で本作の「This way will I go(そこへ行くよ)」というフレーズが、「アイル・フォロー・ザ・サン」の歌詞と密接な関係にあると書いている[10]。また、コード進行については「つまらない」と結論づけている[10]ピーター・ドゲット英語版とパトリック・ハンフリーズは、本作について「(これまで唯一未発表とされていたオリジナル曲であるため)『ライブ・アット・ザ・BBC』の発売に対する批判の対象とされていたことを不当に思う」とし、「誰もこの曲を大々的に宣伝しなかったが、当時2人が書いた多くの作品に引けを取らない」と評している[19]。『オールミュージック』にレビューを寄稿したリッチー・アンターバーガー英語版は、「初期のビートルズの楽曲としては弱いが、シングルのB面曲にはふさわしかったであろうかなり典型的な1963年初頭のレノン=マッカートニーの作品」とし、「『アスク・ミー・ホワイ』や『サンキュー・ガール』よりも優れたB面曲となっていたことだろう」と評している[20]

クレジット

※出典[8]

ビリー・J・クレイマー&ザ・ダコタスによる演奏

要約
視点
概要 「アイル・ビー・オン・マイ・ウェイ」, ビリー・J・クレイマー&ザ・ダコタスの楽曲 ...

ビリー・J・クレイマー&ザ・ダコタスは、1963年3月14日と21日に「アイル・ビー・オン・マイ・ウェイ」のレコーディングを行なった[21]。プロデュースはジョージ・マーティンが手がけた[1]。こちらのバージョンは、ビートルズよりも速いテンポで演奏されている[20]

ビリー・J・クレイマー&ザ・ダコタスによる「アイル・ビー・オン・マイ・ウェイ」は、1963年4月26日にデビュー・シングル『ドゥ・ユー・ウォント・トゥ・ノウ・ア・シークレット』のB面曲として発売された[22][23][8]。アメリカでは1964年10月にシングル『フロム・ア・ウィンドウ英語版』のB面曲として再発売された[24]。その後、同年に発売されたEP『The Billy J. Kramer Hits[25]や、1979年に発売されたコンピレーション・アルバム『ザ・ソング・オブ・レノン&マッカートニー英語版[26]に収録された。

アンターバーガーは、「きらめく密集したボーカル・ハーモニー」や「イントロにおける独特の上昇進行」が含まれていないことから、「ビートルズのBBCでの演奏より劣っている」と評している[20]

シングル収録曲

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脚注

参考文献

外部リンク

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