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アエロフロート109便ハイジャック事件

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アエロフロート109便ハイジャック事件
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アエロフロート109便ハイジャック事件(アエロフロート109びんハイジャックじけん)は、1973年5月18日に発生したハイジャック事件である。イルクーツク国際空港からチタ国際空港へ向かっていたアエロフロート109便(ツポレフ Tu-104B)がハイジャックされた後に爆破され、乗員乗客81人全員が死亡した[1]

概要 事故の概要, 日付 ...
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機体

事件に遭遇した機体のツポレフ Tu-104B(CCCP-42379)は製造番号8350403として製造され、1958年に初飛行した。エンジンはミクーリン AM-3M-500を搭載しており、総飛行時間は19,329時間、総飛行サイクルは8,841回であった[1][2]

事件の経緯

109便はドモジェドヴォ空港からチェリャビンスク空港セヴェルヌィ空港英語版イルクーツク国際空港を経由してチタ国際空港へと向かう便であり、ドモジェドヴォ空港からチタ国際空港までは特に何事もなく飛行していた。

モスクワ時間3時02分、109便はイルクーツク国際空港を出発し、高度9,000メートルでチタ国際空港へと向かった。そして3時22分に109便はチタ航空管制の区域に入り、3時32分には高度1,200メートルまで降下することを許可された。しかしその直後の3時36分、パイロットは同機がハイジャックされて飛行経路を中国へと変更するように要求されたことを管制に報告し、管制官もこれを確認した。3時36分30秒に109便は高度6,500メートルを維持することを管制に連絡したが、15秒後に6,600メートルまで上昇すると訂正した。

3時38分、109便から管制に危険信号が送信されたが、途中で中断された。この当時、109便の機内ではスカイマーシャルがハイジャック犯に2発発砲していた。その後、ハイジャック犯の持ち込んでいた爆弾が爆発して109便は墜落した。管制官は109便に同機の空港に対する位置を報告したが、同機からの応答はなかった。管制のレーダースクリーン上にあった109便の機影はぼんやりとなり、やがて消えた。

4時55分、Mi-8の乗員はチタ国際空港から西に97キロメートル離れた地点で幅10キロメートルの範囲に散乱している109便の残骸を発見した。乗員乗客81人の中に生存者はいなかった[1][3][4]

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調査

事故を目撃した5人は、3時35分から45分の間に空中での爆発を見聞きしたと話した。また、事故調査委員会によると109便は急激な圧力変化によって空中分解し機体が複数に分離したという。

そして、法医学的な調査により機体の爆発は1941年生まれの乗客によるものであると判明した。彼がコックピットに侵入しようとした際にスカイマーシャルが背後から発砲しており、弾丸が心臓まで達していたものの瀕死の状態で彼は爆弾を起爆していた。

最終報告書は「乗員乗客全員が死亡した空中分解事故の原因は、航空機の進路を変更させようとしたテロリストによる爆弾の爆発である」と結論付けられている[1][5]

関連項目

脚注

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