トップQs
タイムライン
チャット
視点

アラゴン連合王国

ウィキペディアから

アラゴン連合王国
Remove ads

アラゴン連合王国カタルーニャ語: Corona d'Aragóアラゴン語: Corona d'Aragónスペイン語: Corona de Aragónイタリア語: Corona d'Aragonaラテン語: Corona Aragoniae)は、アラゴン王国アラゴン語: Reino d'Aragón)およびカタルーニャ君主国カタルーニャ語: Principat de Catalunya)を中心とする複数の君主国の同君連合として構成された中世南ヨーロッパの国家である。イベリア半島東部に興り、西地中海の島々や南イタリアを領有するなど、地中海国家としても発展した。日本語訳は一定せず、アラゴン=カタルーニャ連合王国アラゴン地中海帝国などとも呼ばれるが、単にアラゴン王国と呼んでこの連合王国を指す場合も多い。

アラゴン連合王国
Corona d'Aragón (アラゴン語)
Corona d'Aragó (カタロニア語)
Corona Aragonum (ラテン語)
Corona de Aragón (スペイン語)
アラゴン王国
カタルーニャ君主国
ナポリ王国
1162年 - 1716年 スペイン帝国
スペイン王国
フランス王国
ナポリ王国
サルデーニャ王国
Thumb Thumb
(国旗) (国章)
Thumb
アラゴン連合王国の最大領域(1443年)
さらに見る 公用語, 言語 ...
Remove ads

歴史

起源

1137年アラゴン王国ラミロ2世王の一人娘ペトロニラ女王とカタルーニャの君主であるバルセロナ伯ラモン・バランゲー4世の結婚によって、王朝連合が成立した。これはアラゴンによるカタルーニャの併合でもその逆でもなく、両者がそれぞれの政治制度を維持したまま対等な連合関係を結んだものである。ラモン・バランゲー4世はカタルーニャとともにアラゴンの統治も行い、ペトロニラとの間の息子アルフォンソ2世はアラゴン王とバルセロナ伯を兼ねた。

勢力拡大

カスティーリャとの連合

カスティーリャの女王イサベル1世の夫で共同君主であったフェルナンド5世がアラゴン王フェルナンド2世として即位した1479年に、スペイン王国へと統合されたと見なすことができる。これもまた各国が政治制度を維持したままの連合であったが、実態としてはカスティーリャを中心とするものであり、スペイン継承戦争を経てスペイン・ブルボン朝の支配が確立した18世紀初めには、新国家基本法により旧来の政治機構は解体されて中央集権化が図られた。

解消

Remove ads

主な領域

イベリア半島および周辺

イタリア南部および島嶼部

フランス南部

ギリシャ

脚注

参考文献

関連項目

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads