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アーサー・ニコルソン (初代カーノック男爵)

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アーサー・ニコルソン (初代カーノック男爵)
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初代カーノック男爵アーサー・ニコルソン英語: Arthur Nicolson, 1st Baron Carnock, GCB, GCMG, GCVO, KCIE 1849年9月19日 - 1928年11月5日)は、イギリス外交官貴族。1899年から1916年にかけては第11代準男爵サー・アーサー・ニコルソン(Sir Arthur Nicolson, 11th Baronet)を称した。

概要 初代カーノック男爵アーサー・ニコルソン, 前任者 ...
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略歴

第10代准男爵、サー・フレデリック・ニコルソン提督とその妻メアリー・ロッチの間に長男として生まれる。ラグビー校を経てオックスフォード大学ブレイズノーズ・カレッジに進学したが、学位を取得せずに退学。1899年、准男爵位を継ぐ[1]1907年サンクトペテルブルクにて英露協商に調印した。

キャリア

  • 外務省勤務 1870年 - 1874年
  • 外相グランヴィル伯爵付き秘書 1872年 - 1874年
  • 在ドイツ大使館三等書記官 1874年 - 1876年
  • 在清国公使館二等書記官 1876年 - 1878年
  • アテネ代理公使 1884年 - 1885年
  • テヘラン代理公使・書記官 1885年 - 1888年[2]
  • ブダペスト総領事 1888年 - 1893年
  • 在オスマン帝国イギリス大使英語版館 1894年
  • タンジール公使 1895年 - 1904年
  • 在スペイン大使 1904年 - 1906年
  • 在ロシア大使 1906年 - 1910年
  • 外務省事務次官 1910年 - 1916年

家族

1882年に近衛第5竜騎兵連隊英語版所属の将校アーチボルド・ローワン・ハミルトンの娘であるメアリー・キャサリン・ハミルトンと結婚し、3人の男子、1人の女子をもうけた[3]

栄典

出典[1]

1916年、カウンティ・オブ・スターリングにおけるカーノックのカーノック男爵Baron Carnock, of Carnock in the County of Stirling)に叙される。

著書

the History of the German Constitution」(1873年)

脚注

外部リンク

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