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イエティ

ヒマラヤ山脈に住むとされる未確認動物 ウィキペディアから

イエティ
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イエティ英語など:yeti / 雪男 / 雪人)は、ヒマラヤ山脈に住むといわれているUMA(未確認動物)である。全身がに覆われ、直立歩行するとされる。

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イエティのイラスト(想像図)

概要

要約
視点

ネパールの初代イギリス代理公使ブライアン・ホジソンが、「ネパールの哺乳類」という論文の中で、ネパール人ポーターが尻尾のない、長い毛におおわれた立って歩く生物を目撃したことを、「ベンガル・アジア協会会報」に掲載した[1][2]。これが今日でいう「イエティ」の最初の公式記録である。このときは目撃談のみだったものの、1889年にはイギリス陸軍のL・オースティン・ウォーデルが、インドのシッキム州北部、標高約5200メートルの地点で、イエティのものらしき巨大な足跡を西洋人として初めて発見[1][2]。ただし、ウォーデル自身はこの足跡について、正体はヒグマだろうとしている[2]

イエティは、シェルパ族言葉を意味する"Yah"と動物を意味する"Teh"が語源である。現地では伝承としてその存在が伝えられていたらしく、いくつかのポン教の寺院などにその体の一部とされるミイラが伝わる。シェルパ族以外の言葉では、おおむね、チベット仏教圏と一致する地域に同種の物語が広まっており、ブータンシッキムではメギュ、チベットラサチャンタンではテモ、東チベット及びネパールのムスタンやトルボではメテ、と国や地域ごとに呼称が異なる[3]。 ブータンではミゲやグレットムの名でも知られる他[4]、体長1m程で物まねに長ける二足歩行のミルゴンと呼ばれる生物ともしばしば混同される[5]

1921年、エベレスト登頂計画策定のため第1次遠征隊が組織された。同年9月22日チャールズ・ケネス・ハワード=ベリー率いる遠征隊とその登山隊はエベレストの標高7700メートル地点(ラクバ・ラの標高約6300メートル地点とも[1])で大きな足跡を発見した。バリーはそれをオオカミのものだと考えたがチベット人たちは雪男のものだと考えた[6]。なお、ハイイロオオカミは大型であり、跳ねるように走り、二重に足跡がつくことがあるという。この報告で、イエティの存在が世界に知られた[1]。1925年には、ギリシアの有名な写真家で王立地理学協会会員ニコラオス・トムバジが、ネパールとインドの国境にあるカンチェンジュンガのゼム氷河上、標高約4500メートルの地点で直立して歩く謎の生物を目撃した[1]

1951年、イギリスの有名な登山家エリック・シプトンとマイケル・ウォードが、エベレスト山のメンルング・ツエ南西斜面海抜6000メートルほどのところで、長さ32センチ、幅20センチの巨大な足跡を発見した[1][2][7]。指は5本あり、2本は大きく、他の3本は小さくてくっついていた。彼らはその足跡を辿っていったが、途中で足跡は消えてしまった[1]。シプトンが撮影した足跡の写真は『ロンドン・タイムズ』紙に掲載されるや、大きな反響を呼んた[1][2]。この写真は50年代のヒマラヤ探検ブームのきっかけとなったが、シプトン自身はホラ吹きとしても知られていたという[2]。1953年、ニュージーランドの登山家エドモンド・ヒラリーとネパール人シェルパ、テンジン・ノルゲイが人類で初めてのエベレスト登頂に成功、このふたりも下山の途中で巨大な足跡を見たことを報告した[1]

1954年のイギリスのデイリー・メール紙のものを皮切りに各国より何度となく探査隊が派遣されている。これらの探検隊によりヒマラヤの僧院に保存されていたイエティの頭皮やミイラ化した手首の骨が発見されている[1][2]。1960年から1961年かけて現地に行ったヒラリー率いる登山隊が、その一部を持ち帰り、アメリカで鑑定を実施したが、他の動物であることが判明した[2]日本では1959年東京大学医学部小川鼎三教授を代表とする「日本雪男研究グループ」が結成され、毎日新聞社スポンサーとして、6名の学術探検隊がエベレスト山麓に派遣された。

また1986年にはイギリス人のアンソニー・ウールドリッジが、ヒマラヤを単独で登山中、斜面にたたずむイエティを発見、その姿を世界で初めて写真にとらえたが、後に岩だったことが判明した[2]。さらに1996年には、斜面を歩くイエティの姿がビデオに撮影されたが、アメリカのフォックス・テレビのプロデューサーによってつくられたイカサマ映像であることが判明している[2]

2019年4月29日、インド陸軍はイエティの足跡とする画像3枚をツイッターの公式アカウントに投稿した。しかし、ツイッター上ではこの投稿への批判が相次いだ。科学者らは、画像に写っているのは熊の足跡で、太陽と風の影響で縦長に伸び形が崩れたものだとした[8]。ネパール軍からは異議が出て、「地元住民や荷物の運び人らによると、この地域では変わった足跡が頻繁に出現しており、野生の熊によるものだという」と報道の取材に答えている[9]

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特徴

イエティのほか、体の大きな順にテューティ(大)、ミティ(中)、テルマー(小)など種類がいるとされ、イエティとこれらの種は家族だとも言われている。

現地では巨大でヤクを襲うズーティ(「程の熊」が語源)、2メートルほどの大きさでナキウサギを捕食するミィティ(「人程の熊」が語源)など数種類の呼び名がある。このうちズーティについては、ヒグマのことを指しているのではないかといわれる。 クンブ地方のシェルパによれば、ミティは人を食べ、チュティは動物を食べ、イエティは悪さだけをすると概ね説明されるが、この特徴は曖昧で説明する人によっても入れ替わる[10]。 シェルパのセン テンシンがチャンボチェで目撃したイエティの体つきはずんぐりして類人猿に似ており、背の高さは150~165cmほど。赤褐色または灰褐色(黒っぽい色)の短くてかたい毛に覆われ、肩のあたりの毛はやや長い。頭は大きく、頭頂部は尖り、耳は小さく、顔には毛はない。口は大きく、歯は大きいが尖った牙はない。二足歩行をしているが、急ぐ時や岩を登るときには四足歩行も行う。足は大きく、尾はない[11]

1958年ノーマン・ディーレンファース(英語版)率いる雪男探検隊の参加者が、人間を小型にしたような黒毛で覆われ、手足は人間そっくりの動物が、森の中の川岸の石の上でカエルを食べていたのを目撃したという[12]。2000年前後にランモチェ谷に行った根深誠が取材した話によれば、クムジュン村在住でイエティに襲われたハクパ・ドマ[13]によると、からだの大きさは3歳のヤクほどで手足の爪は長い。雌雄の判別はできなかったが、全身が褐色の毛で覆われている。頭髪桃割れのように左右に分かれ、前額が突き出て、眼窟が落ちくぼんでいる。口を開けて吠えたてたとき見えた前歯は、人間の人さし頻と中指を並べたぐらいの大きさ。尻尾はなかったようだ。足は逆むきについているという[14]

よくミテー・カンミ[15]の誤訳であろうといわれるが、欧米の映画やテレビでは「アボミナブル・スノーマン」(直訳すれば「忌まわしき雪男」となり、スノーマンは文字通りなら「雪男」だが、英語圏等では日本の雪ダルマにあたる人がたの雪像をこう呼ぶ。ただし、日本のような二段式ではなく三段式だったり縦長に作られる。)と称されることも多い[16][17]そのため背の高い白い毛皮の動物とされてしまうこともある。[要出典]

登山家のラインホルト・メスナーによると「イエティ」はシェルパが用いた名称イェーテー(岩場の動物)またはメーテー(人熊(チベットではズーテー(牛熊)という))(これらは後ろ足で立って歩くこともあるヒマラヤヒグマと同じ名前)に由来するとされる。

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神話・信仰

伝承では、イエティは風のようなもので音はしても姿かたちは見えず、イエティを見ると病気になると言われている[12]。 ほかにも、反踵といって足が逆向きについている、だとか、メスは気根のように垂れ下がった大きな乳房をつけているので、下り坂を走るときは邪魔になって早くは走れない。だから、襲われそうになって逃げるとしたら斜面を駆け下ればいい、といった中国の野人伝説と類似した話がある。目に見えないのに姿がわかっていることについて、あるラマ (チベット)に根深誠が質問すると、「目に見えなくても心に映る」と答えたという[14]。 人語を解さず甲高い声を上げるが、高徳の僧ならば会話できるという[10]

イエティ伝説発祥のタルガ村では、「イエティが毎年ジャガイモの畑を掘り起こすので、物まねをする習性を利用して皆殺しにしたが、それに加わらなかった妊婦のイエティがひとりだけ生き延びて行方を晦ましたので、現在いるイエティは、すべてその妊婦の子孫である」と言い伝えられている[18]。 クーンブ地方にチベット仏教を布教したラマ・サンガドルジェという高僧の召使がイエティ夫妻だったとしてとして神格化され、その頭皮がパンボチェ僧院にかつて保存されていたとされており[19]、 ラマ・サンガ・ドルヂェの法要祭ドゥムヂェに参加するギャマカカという道化役は、ナムチェ村のゴンパに安置されているイエティの頭皮を被って観客に悪ふざけをする[20]。 また、「チベットでもっとも有名な医者ユトック・ユンテン・ゴンブがイエティ(メテ)を助け、お礼に貰った袋を開けるとトルコ石が屋根を覆った」という報恩譚も言い伝えられている[21]

イエティが窓から入ってくると家の者が病気になったり死んだりすると恐れられ、真っすぐに立って歩く習性があるので家の窓を小さくしておくというシェルパの伝統があったが[22]、現在は廃れている[23]

現在見つからない理由としては、観光客[10]もしくは村の人間が増えたために大きな山や森に逃げて行ったとも、両地区の力持ちもしくは土地神の力比べに勝った地区が負けた地区にイエティとミルゴンを連れて行ったとも、グル・リンポチェが調伏し[24]、仏教の守護者となったためとも言われている[5]

正体

要約
視点

イエティの正体については、ヒグマ説、ラングール説、かつて生息していた古代のホッキョクグマ或いはその交雑種の生残り説[25]、未知の巨大類人猿(或いは新生代第三期の大型類人猿ギガントピテクス或いはその祖先[26]ネアンデルタール人[27])説、ヒンドゥー教の修行僧の見間違え説など様々である。

1937年大英博物館のガイ・ドルマンはアメリカの雑誌ザ・タイムスにてイエティの正体はヒマラヤラングールとししっ鼻ラングール(キンシコウ)ではないかという説を発表した。しかしイエティの足跡とされるものが発見されている地域にラングールは生息していない[28]

1952年動物学者のベルナール・ユーヴェルマンスはフランスのシアンス・エ・アブニール誌にイエティの正体はギガントピテクスの近種だとする説を投稿した。その説は他の科学者達によって突拍子もない話だとして切り捨てられた。一方ロシアの動物学者ウラジミール・チェルネツキーは『忌まわしき雪男探検隊・1955年』にてユーヴェルマンスの理論と類似した説を展開している[29]

1960年探検家エドモンド・ヒラリーら18名参加の国際学術探査隊がエベレスト山麓を調査し、以下のような結果を発表した。

  • 「イエティの足跡」はキツネのもの。
  • ネパールラマ教寺院に保存されている「イエティの頭皮」はカモシカの一種のもの。
  • 「イエティの鳴き声」はユキヒョウのもの。
  • 大きなイエティ「チュッテー」の毛や糞はヒグマのもの。
  • 中くらいのイエティ「ミッテー」の毛と糞はカモシカのもの。
  • 小さなイエティ「テルマー」の毛と糞はアカゲザルのもの。
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イエティのものだと称されている頭部(ネパール、クムジュンの僧院)

最近では、シェルパにヒグマの姿を見せたところ、彼らが「イエティ」と認識したことが判明している。

ブータンで「雪男」を指すとされた「メギュ」、チベットでの「テモ」もヒグマを指す名称だった。

1959年、地元住民が日本の登山隊に差し出した「イエティの毛皮」もヒグマのものだった[30]

2003年にチベットで調査をおこなった登山家根深誠も、チベットで「雪男」を指す「メテ」、「ミティ」は人を意味する"mi"とチベットヒグマを意味する"dred"が語源だったと、イエティはヒグマであったとの結論を出している[31][32]。 。

ラインホルト・メスナーの著書『My Quest for the Yeti』には、そもそもイギリスのエベレスト登山隊がイエティを未確認動物にして資金を集めていた事実が1930年代ドイツの探検家・動物学者E・シェーファー英語版によって証されていたことが記載されている。多くの登山家達が資金繰り[注 1]に悩んだあげく、故意かどうかは別にして、地元でイエティと呼ばれていたヒグマを未確認生物に仕立て上げ、資金源にしていた、と根深誠は述べている[30]

2017年12月、アメリカの研究チームが、イギリス王立協会紀要フィロソフィカル・トランザクションズ」に「正体はクマの可能性大」と発表した[33]

ブータンの地元民はゴリラの姿として認識しているという2020年の報告もある[34]

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脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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