トップQs
タイムライン
チャット
視点
ウァレンティニアヌス朝
ローマ帝国の王朝 ウィキペディアから
Remove ads
ウァレンティニアヌス朝(ウァレンティニアヌスちょう)は、ウァレンティニアヌス1世、ウァレンス、グラティアヌス、ウァレンティニアヌス2世の4人、もしくはこれに379年から東方正帝となったテオドシウス1世を含め5人のローマ皇帝から成る、364年から392年のローマ帝国の王朝である。王朝の創始者であるウァレンティニアヌス1世・ウァレンス兄弟の母(名はファウスタとされる)はコンスタンティヌス朝に属するコンスタンティウス1世とその後妻テオドラの孫娘(2人の娘の1人アナスタシアの子)であるため、コンスタンティヌス朝とは女系という形で血縁関係がある。故に兄弟はコンスタンティウス1世・テオドラ夫妻の曾孫で、コンスタンティヌス1世の大甥、クリスプスやコンスタンティヌス2世、コンスタンティウス2世、コンスタンス1世、コンスタンティウス・ガッルス、フラウィウス・クラウディウス・ユリアヌスの従兄弟甥にあたる。
![]() |
Remove ads
歴史
![]() | この節の加筆が望まれています。 |
王朝断絶後
王朝の断絶(ウァレンティニアヌス2世の死去で男系が断絶)後も、ウァレンティニアヌス1世の娘ガッラがテオドシウス1世に嫁いでいたので女系を通じて血統は存続した。そしてガッラとテオドシウスとの間に生まれた娘ガッラ・プラキディアは、後の皇帝ホノリウス配下の部将で後に正帝となるコンスタンティウス3世に嫁ぎ、ウァレンティニアヌス3世が生まれた。ウァレンティニアヌス3世は後に皇帝となった(在位425年 - 455年、ただしウァレンティニアヌス3世はテオドシウス朝に含む)。ウァレンティニアヌス1世の子孫は、6世紀の終わりまでコンスタンティノープルのローマ貴族であり続けた。
歴代君主
西方帝
- ウァレンティニアヌス1世(在位364年 - 375年)
- グラティアヌス(在位375年 - 383年)
- ウァレンティニアヌス2世(在位375年 - 392年)
東方帝
系図
ウァレンティニアヌス1世 西方帝 | ウァレンス 東方帝 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
グラティアヌス 西方帝 | ガッラ | テオドシウス1世 東方帝 全ローマ帝 | ウァレンティニアヌス2世 西方帝 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
テオドシウス朝 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
脚注
参照
関連項目
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads