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ウィングドフットゴルフクラブ

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ウィングドフットゴルフクラブ
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ウィングドフットゴルフクラブ(Winged Foot Golf Club)は、ニューヨーク州ウェストチェスター郡ママロネックにある会員制クラブで、2つの18ホールゴルフコースを持つ。設計はバルタスロールゴルフクラブベスページブラックコースなどメジャー大会が開催されるコースの設計で有名な A. W. ティリングハーストである。

概要 ウィングドフットゴルフクラブ, 所在地 ...

クラブは1921年、ニューヨークアスレチッククラブ (NYAC) のメンバーを中心とした有志により設立された。クラブ名とロゴは NYAC のそれ(翼の付いた足、winged foot)を使用しているが、これら二者に直接の提携関係はない。1923年6月にゴルフコースが開業した。クラブから招待された者のみがクラブメンバーとなることができる。

ウェストコースは7,426ヤードでパー72、コースレートおよびスロープレートはそれぞれ76.4と140。イーストコースは6,808ヤードでパー72、コースレートとスロープレートはそれぞれ73.6と140となっている。ゴルフダイジェスト誌による 2009年 - 2010年米国内ゴルフ場ランキングではウェストコースが8位、イーストコースが65位となっている[1]

2019年に米国国家歴史登録財に指定された。クリフォード・チャールズ・ウェンデンハック設計のクラブハウスと、ティリングハーストが最後に設計したコースであるという点が指定される理由となった[2]

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ヘッドプロ

さらに見る 名前, 年 ...

ウィングドフットのメンバーであるトミー・アーマーはメジャー大会に3勝している(1927年全米オープン、1930年PGA選手権、1931年全英オープン)

クロード・ハーモンは1948年のマスターズに優勝して賞金 2,500ドルを得たが、この当時彼はウィングドフット所属のヘッドプロだった。メジャー優勝者のクラブプロはハーモンが最後となった。それ以前は1941年にマスターズと全米オープンの両方を同年に優勝した初めてのプレーヤーとなったクリーク・ウッドが所属していた。

開催されたメジャー大会

要約
視点

ウェストコースはこれまでに全米オープンが5回、PGA選手権が1回開催されている。イーストコースは全米女子オープンが2回と全米シニアオープンが1回開催されている。

更に全米アマチュア選手権も2回開催している(ウェストとイーストでそれぞれ1回ずつ)。1949年にはウォーカーカップがウェストコースで開催された。

2013年1月、全米ゴルフ協会 (USGA) は2020年開催の第120回目の全米オープンをウィングドフットで行うと発表した[3]。これで都合6回目の開催となるが、それ以上の回数の全米オープンを開催したコースはバルタスロールゴルフクラブオークモントカントリークラブの2か所だけである。

USGA 主催の選手権クラスの大会が行われる際のウェストコースはパーが70に設定される。この設定だと514ヤードの9番ホールはパー4になり、選手権史上最長のミドルホールになる。12番640ヤードのパー5は選手権史上2番目に長いロングホールになる[4]。また、16番ホールは、本来は短いパー5だが、大会では距離を変えずに長いパー4として使用される。その後コース改造が施され、2020年大会では、5番の短いパー5(516ヤード)が、502ヤードのパー4として使用された一方、2006年大会まで長いパー4だった9番ホールが572ヤードのパー5に変更され、大会では565ヤード、パー5で使用された。

オギルビーが2006年の全米オープンに優勝した時のスコアは5オーバーパー、1974年にアーウィンが優勝した時は7オーバーパーであり、近年のメジャー大会においても群を抜いて打数が多い。なお、ジュリウス・ボロスの1963年全米オープン(開催地はボストンのザカントリークラブ)の優勝スコアは293打(9オーバー)で、これが近年における打数及びパー基準のスコア両方の最多記録となっている[5]

さらに見る 年, 大会名 ...

(a)2004年全米アマチュアは、イーストコースとウェストコースの両方を使用。

(b)1980年全米シニアオープンはイーストコースで開催。

(c)1972年全米女子オープンはイーストコースで開催。

(d)1957年の全米女子オープンはイーストコースで開催。

(e)ジョーンズはアマチュアだったので、36ホールのプレーオフで敗れて2位になったアル・エスピノーサが優勝賞金を得た。

1984年(90ホール)と1929年(108ホール)の全米オープンはプレーオフで優勝者が決まった。当時のUSGAのルールでは、プレーオフは18ホール(1984年)と36ホール(1929年)で決定されることになっていた。合計スコアはプレーされたホールの数を反映し、準優勝者とのスコア差はプレーオフ時のものとなっている。

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脚注

外部リンク

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