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ウィントン・ルーファー
ニュージーランドのサッカー選手 ウィキペディアから
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ウィントン・ルーファー(Wynton Alan Whai Rufer、CNZM、1962年12月29日 - )は、ニュージーランド出身の元サッカー選手、サッカー指導者、元サッカーニュージーランド代表(1980年 - 1997年)。現役時代のポジションはフォワード。
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経歴
ウェリントン出身。父のアーサーはスイス人で、1956年にニュージーランドへ移民として渡った人物。母のアンネはマオリ族の血筋を引く人物。
ウェリントンのアマチュアクラブで経験を積んだ後、ノリッジ・シティFCで1シーズンを過ごし、FCチューリッヒへ移籍。その後、スイスのクラブチームを転々とし、1988年にグラスホッパー・クラブ・チューリッヒへ加入し、タイトル獲得に貢献。1989年にドイツ・ブンデスリーガのヴェルダー・ブレーメンへ移籍。1989年、1990年、1992年と3度オセアニア年間最優秀選手に輝くなどサッカー選手としての本領を発揮し、1992-93シーズンにはリーグ優勝を果たす。翌1993-94シーズンにはオセアニア人史上初となるUEFAチャンピオンズリーグ得点王(8得点)に輝くなどの活躍をし、ブンデスリーガの最優秀外国人選手に選出された。
1995年にはJリーグのジェフユナイテッド市原に移籍。3月29日の横浜F・マリノス戦でJリーグ初ゴールを含め、2ゴールを決め[1]、シーズン中2度ハットトリックを決めるなど(10月18日の横浜フリューゲルス戦、11月4日のサンフレッチェ広島戦)[2]、21ゴールを挙げる活躍を見せた[1]。翌年は1stステージのみ在籍10試合4ゴールを決めた。
カイザースラウテルンを経て母国のクラブチームに移籍し、1997年に一時引退。1999年にはニュージーランド初のプロクラブ、フットボール・キングズFCのプレイヤーコーチとして現役復帰し、2002年に二度目の引退。
引退後は、1997年に立ち上げたサッカースクール「ウィナーズ(WYNRS)」で後進の指導にあたり、FIFA親善大使としてサッカーの普及活動を行っている。ドイツサッカー連盟公認A級ライセンス(UEFA A級)所持者。
2005年にはサッカー選手として初めてニュージーランドスポーツ界における殿堂入りを果たし、2008年にサッカー界への貢献に対し、ニュージーランド・メリット勲章(CNZM)が授与された。
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個人成績
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代表歴
試合数
- 国際Aマッチ 23試合 12得点(1980年-1997年)[3]
脚注
関連項目
外部リンク
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