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ウクライナの国歌

2003年に定められたウクライナの国歌 ウィキペディアから

ウクライナの国歌
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ウクライナの国歌(ウクライナのこっか、: Державний Гімн України)は、ウクライナの国家象徴の一つ。国歌の名は『ウクライナは滅びず』(ウクライナはほろびず、: Ще не вмерла Україна)である。

概要 Ще не вмерла Україна, 作詞 ...

概要

1862年パヴロ・チュビンスキー英語版 (Павло Платонович Чубинський) が作詞、1863年ミハイロ・ヴェルビツキー英語版 (Михайло Вербицький) が作曲した。しかしながら当時ウクライナの文化運動に対するロシア帝国の弾圧は強まっており(1863年にヴァルーエフ指令が出されている)、チュビンスキーは「民衆の精神に有害な影響を与えた」とされてアルハンゲリスクに追放された[1]

ロシア革命が起こった1917年に独立を宣言したウクライナの民族主義者によってウクライナ人民共和国および西ウクライナ人民共和国の国歌に採用され[2]、1920年にソビエト連邦に併合されるまで使用された。また、1938年にチェコスロバキアから独立した国家、カルパト・ウクライナでも短期間ながら国歌として採用された。

ソ連を構成するウクライナ・ソビエト社会主義共和国ではこの曲がもつ「分離主義的」ニュアンスが忌避され、別の曲が国歌として採用された(ウクライナ・ソビエト社会主義共和国の国歌を参照)[2]

ソ連から独立後、1992年に議会によりウクライナの国歌として復活した。2003年3月6日には最高議会でウクライナ国歌法案が成立。歌詞を一部修正の上、正式に国歌に採用された[2]

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歌詞

要約
視点

2003年3月6日制定の現行の国歌歌詞(最後の2行は繰り返して歌う)

さらに見る ウクライナ語, ラテン文字転写 ...
2022年ロシアのウクライナ侵攻の際、日本の渋谷にてロシアに抗議する人々が歌った国歌。

和訳

ウクライナの栄光も自由もいまだ滅びず、
若き兄弟たちよ、我らに運命はいまだ微笑むだろう。
我らが敵は日の前の露のごとく亡びるだろう。
兄弟たちよ、我らは我らの地を治めよう。

𝄆 我らは自由のために魂と身体を捧げ、
兄弟たちよ、我らがコサックの氏族であることを示そう。𝄇

原詞

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2003年の改定前のもの

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脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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