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エヴァ・ガードナー

アメリカの女優 (1922-1990) ウィキペディアから

エヴァ・ガードナー
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エヴァ・ガードナー(Ava Lavinia Gardner、1922年12月24日 - 1990年1月25日[1])は、アメリカ合衆国ノースカロライナ州出身の女優[2]。アメリカ映画協会(AFI)が1999年6月に選出したアメリカの「最も偉大なる女優50名」では第25位であった。

概要 エヴァ・ガードナー Ava Gardner, 生年月日 ...
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プロフィール

要約
視点

生い立ち

貧しい農家の7人兄弟の末っ子としてノースカロライナ州ジョンストン郡グラブタウン (en) に生まれる。母親のモリーはバプティスト派スコットランドアイルランド人イングランド人の混血、父親はカトリック派のアイルランド系アメリカ人とタスカローラ族インディアンの混血だった[3][4][5]

デビュー

姉の夫が写真家であり、彼が撮ったエヴァの写真がきっかけで映画界入りした。デビューしたものの強い南部訛りが災いし、何年も目だったヒット作がなく、女優としては低迷していた。仕事といえばピンナップの撮影の方が多かった。

身長が170センチメートル近くあり、顔立ちがエキゾチックであるため、ブロンドの女優がもてはやされるハリウッドでは異色の存在だった。既定路線の役柄でなく、ジプシーの役、黒人の役[注 1] などが多かった。早くから、ファム・ファタール適材の女優として目立っていた。

2度の結婚

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「殺人者」(1946年)
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「裸足の伯爵夫人」(1954年)

第二次世界大戦中の1942年に、人気俳優のミッキー・ルーニーと結婚したことで、名前は知られるようになった。この結婚は長続きせず、1年半で離婚した。その後、ミュージシャンのアーティ・ショウと結婚するも1年で離婚した。

アーティとの間に初めての子供を身ごもるも、所属映画会社社長の「子持ちの女優はスターになれない」との一言で中絶し、「夫より社長の言うことを聞くなんて!」と彼を嘆かせた[要出典]。なお、大富豪のハワード・ヒューズや、ドミニカ共和国外交官プレイボーイとして知られたポルフィリオ・ルビロサとの交際も知られている。

人気

転機は1951年のミュージカル『ショウ・ボート』で、強烈な存在感を残し一気にブレイクした。その後『モガンボ』や『裸足の伯爵夫人』、『渚にて』などの人気作に出演した。その後結婚するフランク・シナトラとは、交際時からスキャンダルとなった。

シナトラとの再婚

ティーン向けの歌手から出発し、幼なじみのナンシーと結婚して3児の父になっていたシナトラは、当時歌手として低迷し、俳優としてもくすぶっていた。エヴァと交際するようになっても、カトリックである上にマフィアの娘でもあるシナトラの妻が離婚を承諾せず、いらだったエヴァは前夫アーティー・ショーに会ったりしていた。そのことに怒ったシナトラが、エヴァと電話で会話中に、彼女に聞こえるようにピストルを壁に向けて発射するという事件を起こした[要出典]

なお、シナトラとは1951年11月に結婚[6]したが、1953年に公開された『地上より永遠に』出演後のシナトラの人気復活とともに、シナトラに再発した浮気癖が原因で1957年に離婚している。

晩年

1960年代以降に流行が変化すると一時の人気も衰えていったが、『北京の55日』や『天地創造』などの大作に出演している。次第にハリウッドの作品から遠ざかり、国外の作品に多く出演するようになった。シナトラとの離婚後にスペイン闘牛士と付き合ったことから、スペインに住所を移している。1990年1月25日、1968年以来居住していたロンドンナイツブリッジのエニスモア・ガーデンズ (34 Ennismore Gardens) にて肺炎で死去[7]

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主な出演作品

さらに見る 公開年, 邦題 原題 ...
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日本語吹き替え

ほとんどの作品で翠準子が担当している。

伝記

  • ジェーン・エレン・ウェイン『エヴァ・ガードナー 美しすぎた女の一生』(矢沢聖子訳、講談社、1993年)

その他

脚注

外部リンク

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