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カルトロップ
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カルトロップ(caltrop、または caltrap, galtrop, cheval trap, galthrap[1], galtrap, calthrop, jackrock, crow's foot[2][3])とは、西洋で使われた撒菱(まきびし)である。




2つ以上の鋭いスパイクを持ち、常に1つは地面から上を向くような形状(例えば三角錐のように)をしており、それらを地面に撒くことで、馬、戦象、人間の部隊の足の裏に怪我を負わせる、または歩行を妨害し移動速度を下げることを狙った兵器である。特に、ラクダの柔らかい足に効果的であった[4]。近代でも、車のタイヤをターゲットに用いられている。
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語源
ラテン語のcalcitrapa(「足への罠」といった意味の語)を語源とする[5]。フランス語のchausse-trapeも同様である。
ローマ時代の名称「tribulus」は、ハマビシ(Tribulus terrestris、ハマビシ科)の由来ともなっており、この植物の種子は足に怪我を負わせたり、タイヤをパンクさせることがある。この植物は、「caltrop」を名前の由来とするムラサキイガヤグルマギク(Centaurea calcitrapa、キク科ヤグルマギク属)[6][7]と良く比べられる。
カルトロップと同様の形状を持つ水草は、Water caltrop(ヒシ) と呼ばれる。ヒシの近縁種オニビシ、ヒメビシは、忍者が撒菱(天然菱)として携帯していたとされる。通常ヒシは棘が2つで使用できないが、この近縁種は棘が4つで1つは必ず上を向くようになっている[8]。
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歴史
1世紀のローマ人歴史家クイントス・クルティウス・ルフスの著作「アレキサンダー大王の歴史IV.13.36」には、早くとも紀元前331年に鉄のカルトロップが、ペルシャのガウガメラの戦いでアレクサンドロス3世に対抗するダレイオス3世によって使われたと記述されている。
ローマでは、それらはtribulus[9]もしくは murex ferreus,[10]と呼ばれ、後者は「ギザギザの鉄」を意味する。 それらは紀元前53年のカルラエの戦いでも使用された[11]。
4世紀ごろのローマ帝国の軍事学者ウェゲティウスは著作「軍事論」で鎌戦車にこう記している。
アンティオコスとミトリダテスによって戦争で用いられた武装戦車は、当初はローマ人に恐れられたが、その後は笑いぐさにされた。この種の戦車が常に平原と平地で出会う事もないので、そういった場で戦うのをやめた。 そして、馬の1頭が殺されるか怪我をすると、敵の手に落ちる。ローマの兵士たちは主に次のような工夫によって馬を無力化した。 交戦が始まると共に戦場にカルトロップをばら撒く、そうすると戦車を引いてフルスピードでその上を走った馬は必ず撃破された。カルトロップは、4つのスパイクまたは尖った先端で構成された器具で、どのような方法で地面に投げても3つのスパイクで地面に固定され、4つ目が上を向くようになっている[12]。
近代

第二次世界大戦では、効果的にかつ広範囲に使われた。ドイツ軍は、crowsfeetと呼ばれる2枚の板金を組み合わせて迷彩色で塗装したものを76 mmもしくは64 mmで製作した[13]。それらを500 kgの爆弾と同じ大きさの容器に詰め、タイヤをパンクさせるため道路や飛行場の上空で投下し、空中で爆発させ散布した[13][14]。
同時期、米国特殊作戦執行部と戦略諜報局によって数々の変種が作られた[15]。開発されたものは、今日でも対車両用[16]や、朝鮮戦争では靴底が薄かった中国軍に対しても使われた[17]。
南米のいくつかの都市ゲリラは、「ミゲリト( miguelito )」と呼び、伏撃後の追跡を撒くために使用した[18]。また、強盗団が車両をパンクさせ、修理のために降りた人を襲う「まきびし強盗」や、その他の犯罪に使用された事例がある。
アメリカのキャタピラー社の1990年代半ばのストライキで使用され、ピケットラインを横切る車両のタイヤをパンクさせた。会社と労働組合のどちらによるものか不明なため、互いに罵り合う事となった。スクールバスや運送業者などが巻き添え被害をこうむった[19]。 イリノイ州の州議会は、このような器具の所有を軽犯罪にする法律を可決した[20][21]。
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シンボル
関連項目
出典
参考文献
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