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キャリー・ダウメリー
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キャリー・ダウメリー[4](Carrie Daumery、1863年3月25日 - 1938年7月1日)とは、オランダ[1][2][3]出身のアメリカ合衆国の女優。1908年から1937年にかけて63本の映画に出演した。
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生涯
アムステルダムの生まれ[1][2][3]。ブリュッセル出身のベルギー人[5]、フランス人[6]とする記事もある。
17歳の時に舞台女優になる。その演技は「芸術的」と評された[5]。
ピアニストのテオ・イザイと結婚[7][8]。ウジェーヌ・イザイは義理の兄になる[9]。息子は後に映画監督になるジーン・ダウメリー(1898年 1934年、別名ジョン・ダウメリー[10])。
結婚しても女優は続け、一時期、サラ・ベルナールと親しかったこともある[5]。
1914年、夫とスイス旅行をしていた時、第一次世界大戦が始まる。ベルギーに帰国すると、自宅がドイツ軍兵士に占領されていた。その後、息子は出征、夫は健康を害した。戦争が終わった時、夫は死亡、息子は毒ガスを浴び怪我をしていた[5]。
健康を回復した息子とロンドン、さらにアメリカに渡る[5]。
ハリウッドでエキストラとなり、やがて「スクリーン村で最も有名なエキストラ」になり[6]、最後にはワーナー・ブラザーススタジオのストック女優となった。
1934年、息子のジーン(ジョン)がイギリスで死去。ダウメリーはワーナー・ブラザーズのサンセット・スタジオ近くのサンドイッチ店の前に、スタジオ行のバスを待つエキストラのための木のベンチ(通称「ジョンのベンチ」)を設置した[6]。
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主な出演作品
- 征服の力 The Conquering Power (1921)
- 殴られる彼奴 He Who Gets Slapped (1924)
- Dynamite Dan (1924)
- Forbidden Paradise (1924)
- 巴里の薔薇 The Rose of Paris (1924)
- ウィンダミア夫人の扇 Lady Windermere's Fan (1925)
- Paris at Midnight (1926)
- The Lucky Lady (1926)
- ウィーンの狂乱 The Greater Glory (1926)
- The Love Thief (1926)
- Young April (1926)
- アンナ・カレニナ Love (1927)
- The Cardboard Lover (1928)
- 笑ふ男 The Man Who Laughs (1928)
- 最後の警告 The Last Warning (1928)
- 大地の果てまで Hearts in Exile (1929)
- 接吻 The Kiss (1929)
- マダムX (1929年の映画) Madame X (1929)
- クラック将軍 General Crack (1929)
- Children of Pleasure (1930)
- 生命の切札 Cameo Kirby (1930)
- 肉体の呼ぶ声 Call of the Flesh (1930)
- The Common Law (1931)
- 我輩はカモである Duck Soup (1933) - クレジットなし
- クリスチナ女王 Queen Christina (1933) - クレジットなし
- アンナ・カレニナ Anna Karenina (1935)
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脚注
外部リンク
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