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キートンの蒸気船
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『キートンの蒸気船』(キートンのじょうきせん、別題:キートンの船長、原題:Steamboat Bill, Jr.)は、1928年に公開されたバスター・キートン主演によるアメリカのサイレント映画。監督はチャールズ・レイスナー、脚本はカール・ハーボー、配給はユナイテッド・アーティスツ。不器用で軟派な青年が父親を救うため暴風雨の中で悪戦苦闘するコメディ映画。終盤のキートン演じる主人公目掛けて家屋の壁が倒壊する中、窓を通り抜けて助かるというスタントシーンで知られ、キートンの独立製作チームとコメディ脚本家陣の集大成と評される。しかし、興行的な成功はせず、キートンがユナイテッド・アーティスツで制作した最後の作品となった。
2016年に、アメリカ議会図書館によって、アメリカ国立フィルム登録簿に「文化的、歴史的、芸術的に重要な映画」として保存されることが決定した。
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プロット
ミシシッピー川沿岸の町。銀行にホテルと次々と事業を手掛ける裕福な実業家ジョン・ジェイムズ・キングは今度は船舶事業に乗り出し、新造船キング号の進水式が大々的に行われていた。それを憎々しげに眺めるのは外輪船ストーンウォール・ジャクソン号の船主兼船長で、かつては町の名士と持て囃された通称「蒸気船ビル」こと、ウィリアム・キャンフィールドであった。そこにボストンに留学に出て長年離れ離れになっていた息子ジュニアが今日、列車で帰郷するとの手紙を受ける。駅に迎えに来たキャンフィールドは数年ぶりの息子との再会を喜ぼうとするも、ジュニアはおよそ船乗りとは真逆の軟派な都市の青年に変わり果てており、一目では息子と気づかないほどであった。失望しながらもキャンフィールドはまず息子を床屋に行かせると芸術家かぶれのようなヒゲを剃らせ、次に名士の息子に相応しい帽子を買いに行かせる。
翌日より、ジュニアはストーンウォール・ジャクソン号で働くことになるが、軟弱で鈍間な彼は失敗ばかりをしてますます父親を失望させる。そんな中でジュニアはキングの最愛の娘キティと出会い、恋仲となる。夜中に抜け出してキングの船に乗り込もうとしたことがわかるとキャンフィールドは激怒し、ボストン行きの切符を買って故郷から追いやろうとする。キティもまたジュニアに愛想を尽かし、路上で出会っても無視する。
追い打ちをかけるように、キャンフィールドは当局より老朽化を理由にストーンウォール・ジャクソン号の使用停止命令を受けてしまう。警察に抗議に向かったキャンフィールドはそのまま逮捕され拘置所に入れられる。これを知ったジュニアは切符を破り捨てて警察に向かうも、保安官に殴られて病院に送られる。
間もなく町を暴風雨(ハリケーン)が襲い、船も建物も危機に晒される。病院の壁が崩落して無防備な状態で屋外に出たジュニアは町を彷徨い、危うく崩れた家屋の壁の下敷きになりかける。何とかストーンウォール・ジャクソン号に辿り着いたジュニアは、川に流された家屋にしがみつくキティを助け出し、さらには船を独りで動かすと川に滑り落ちた拘置所を破壊し、父親も助け出す。また、キング号が沈没して瀕死のキングも発見するとこれも助ける。軟弱に見られた青年は最後には水に飛び込んで牧師も救助したシーンで物語は終わる。
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キャスト
- バスター・キートン - ウィリアム・キャンフィールド・ジュニア
- アーネスト・トレンス - ウィリアム・キャンフィールド(蒸気船ビル)
- マリオン・バイロン - キティ・キング
- トム・マグワイア - ジョン・ジェームズ・キング
- トム・ルイス - トム・カーター
- フォード・ウェスト
- ジョー・キートン
製作

本作は監督を務めたチャールズ・レイスナー(チャーリー・チャップリンの協力者として知られる)のアイデアから始まった。これまで自身の主演作品には監督もしくは共同監督として参加していたバスター・キートンは、ノンクレジットの共同監督として関わった[1]。 1927年6月、カリフォルニア州サクラメントへ向かい、10万ドル以上の費用を掛けて桟橋を含むセットを建設した。当初計画ではラストに洪水のシーンもあったが、同年のミシシッピ大洪水で壊滅的被害が発生したことを受けてプロデューサーのジョセフ・シェンクは取りやめさせた[1]。 キートンはサイクロンの撮影シーンのため追加で2万5000ドルを投じた。これは崩れる街のセットや、6台の強力なリバティ・モーター式風力装置が含まれていた。暴風雨シーンの費用は映画の総予算(推定30万ドルから40万4282ドル、2024年時点の価値で約435万ドルから586万ドルに相当)の3分の1に及んだ[2]。
撮影は1927年7月15日にサクラメントで始まった。野球の試合でキートンが鼻を骨折し、一時撮影が中断するというトラブルもあった。
本作は劇中においてキートン自身の名声を踏まえたメタ的なシーンがある数少ない映画の1つである。撮影当時、キートンは彼の初期のトレードマークであった茶色の短いポークパイハットを被ることをやめていた。そして冒頭で、帽子屋に寄った彼が次々と様々な帽子を試着していく中で、ポークパイハットを被ると考慮する間もなく拒絶して投げ捨てる。なお、この帽子のシーンはオマージュとして他の映画でもよく模倣された。
撮影終了後にプロデューサーのシェンクは、バスター・キートン・プロダクションズの解散を発表した[3]。
スタント

本作はバスター・キートンの最も有名なスタントシーンが含まれている。すなわち、建物の正面壁が直立した彼目掛けて倒れ込むも、彼自身は開いた屋根裏の窓をピッタリと抜けて助かるシーンである。もっとも、ここまで大掛かりではないものの、類似するスタントシーン自体は初期の短編映画『デブの舞台裏』(1919年)や『文化生活一週間』(1920年)でも見られるものであった[3]。 このシーンにトリックはなく、倒れ込む壁は2トンにもなる実物であった。キートンが壁に潰されるのを防ぐために正確に立つべき場所を示す目印は1本の釘のみであった。もし、彼が正しい位置からわずか数インチでもずれれば重傷を負うか、最悪は死亡した可能性が高い[4]。
キートンの3番目の妻エレノアは、当時のキートンが経済的に追い込まれ、最初の妻との不和や映画製作における独立性を奪われること、また悪化するアルコール依存症がもたらす無謀さから、そのような危険を冒したのではないかと推測している[4]。 もっともキートンに自殺願望があったとする証拠は無きに等しい。彼は私生活の困難とは無関係にキャリアを通じて危険なスタントに挑んでいたことで知られ、特に1924年の『キートンの探偵学入門』では鉄道給水塔から転落して首の骨を折るという大怪我を負った[5]。後にキートンは当時を振り返って「あの時は気が狂っていたんだ。そうでなければあんなことできないさ」と語っている。また、この時の撮影が一番興奮したとも語っている[6]。
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評価
本作は興行的に失敗し、公開当時は賛否両論であった[7]。
褒める意見としてはバラエティ誌は「傑出したコメディ」とし、「キートンの最高傑作」と評した[8]。またフィルム・スペクテイター誌は「おそらく本年最高のコメディ」と断定し、「映画館は上映を働きかけるべき」と評した[9]。また、ハリソンズ・レポートは「筋書きはナンセンス」としつつも、「全編を通じて笑いを誘われるシーンが多くある」と評した[10] 。一方で、ニューヨーク・タイムズは「陰鬱なコメディ」とし、「残念な出来である」と評した[11]。
しかし、後世では本作は当時の傑作と評されるようになった。レビュー集計サイト「Rotten Tomatoes」では52件のレビューを基に96%の支持、平均評価は9/10となっている[12]。また、『死ぬまでに観たい映画1001本』にも掲載されている[13]。
2025年にハリウッド・リポーター誌は、本作を1927年から1928年で最高のスタントを持つ作品として挙げた[14]。
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影響
本作の6ヶ月後に公開されたミッキーマウスのデビュー作とされる『蒸気船ウィリー』(Steamboat Willie、1928年)のタイトルは本作の影響を受けた可能性が高いとされる[15]。
脚注
参考文献
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