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ゲーリー・ラッセル・ジュニア

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ゲーリー・ラッセル・ジュニア
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ゲーリー・ラッセル・ジュニアGary Allen Russell Jr. 1988年6月5日 - )は、アメリカ合衆国プロボクサーワシントンD.C.出身。元WBC世界フェザー級王者。ハンドスピードを生かしたシャープなフックを武器にする選手。プロボクサーでWBA世界スーパーライト級王者のゲイリー・アントゥアン・ラッセルは弟。また、別の弟のゲーリー・アントニオ・ラッセルもプロボクサー。

概要 基本情報, 通称 ...

来歴

要約
視点

アマチュア時代

ラッセル・ジュニアは7歳の頃父にボクシングの手ほどきを受けボクシングを始めた。その後弟のアレンも手ほどきを受け兄弟でそろって練習に励んだ。

2004年、インターナショナル・ジュニア・オリンピックに出場し優勝する[1]

2005年16歳の時、全米選手権にバンタム級(54 kg)で出場し優勝を果たした[2]。同じ年にナショナル・ゴールデングローブでもバンタム級(54 kg)で出場し優勝した[3]

中華人民共和国綿陽市で行われた2005年世界ボクシング選手権大会にバンタム級(54 kg)で出場し、1回戦でブルガリアのデテリン・ダラクリビエフ、2回戦でカナダのタイソン・ケーブ、準々決勝でヨルダンの アル・ガラハ・イブラヒムに判定勝ち。準決勝でドイツのルスタムホドザ・ラヒモブと対戦し、判定負けで敗退も銅メダルを獲得した[4]

2006年、全米選手権にバンタム級(54 kg)で出場し決勝でレオ・サンタ・クルスを破り2連覇を果たした[5]

2007年、全米選手権にバンタム級(54 kg)で出場し決勝でロニー・リオスに敗退した[6]北京オリンピック国内予選選考会にバンタム級(54 kg)で出場。しかしロバート・マロキンとの初戦を落としてしまう、その後ロニー・リオスに勝ち、マロキンからも2試合勝ったことで世界選手権への出場権を得た[7]

シカゴで行われた2007年世界ボクシング選手権大会にバンタム級(54 kg)で出場。3回戦でフランスのアリ・ハッラブに勝ちオリンピック出場権を獲得するが、準々決勝でロシアのセルゲイ・ボドフヤノブに判定で敗れてメダルを逃した[8]

2008年の北京オリンピックに出場するも試合前に控室で急激な減量による疲労で倒れて、病院に搬送される事態になり結果試合は出場できず棄権になった。そのままプロに転向することになった。

プロ時代

プロに転向したラッセル・ジュニアはオスカー・デ・ラ・ホーヤゴールデンボーイ・プロモーションズと契約を交わし正式にプロの世界に進出。

2009年1月16日、プロデビュー戦を3回21秒TKO勝ち。

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2010年、勝ち名乗りを受けるラッセル

2010年7月22日、元IBF世界ライトフライ級王者、元WBA世界フライ級暫定王者マウリシオ・パストラナと対戦し、初回から圧倒的に試合を支配し最後は右フックで沈め初回1分46秒TKO勝ちを収めた。

2014年3月にWBOワシル・ロマチェンコとの間でWBO世界フェザー級王座決定戦の交渉指令を発令した。

2014年6月21日、ロサンゼルススタブハブ・センター・テニスコートにてロバート・ゲレーロVS亀海喜寛の前座でWBO世界フェザー級4位のワシル・ロマチェンコとWBO世界フェザー級王座決定戦を行い、プロ初黒星となる12回0-2(114-114、2者が112-116)の判定負けを喫し王座獲得に失敗した[9]

2015年1月9日、ゴールデンボーイ・プロモーションズからプロモート権を破棄されたことで、同プロモーションを離脱した。

2015年3月28日、ラスベガスのパームス内ザ・パールでWBC世界フェザー級王者ジョニー・ゴンサレスと対戦し、3回に1度、4回に2度のダウンを奪い、4回37秒TKO勝ちを収め王座獲得に成功した[10]。4月4日、WBCはラッセルを2015年4月度の月間優秀選手賞に選出した[11][12]

2015年4月8日、WBCがWBC世界フェザー級シルバー王者でWBC世界フェザー級1位のロビンソン・カステヤノスと指名試合を行うよう指令を出した[13]

2015年11月14日、ザ・ジョイントで元WBA世界スーパーバンタム級暫定王者でWBC世界フェザー級12位のオスカル・エスカンドンと対戦し、初防衛を目指すはずだったが、同月2日のスパーリング中にラッセル・ジュニアが顔を負傷したため中止になった[14]

2016年4月16日、コネチカット州レッドヤードフォックスウッズ・リゾート・カジノ内にあるMGMグランド・アット・フォックスウッズでWBC世界フェザー級15位のパトリック・ハイランドと対戦し、2回1分33秒TKO勝ちを収め、初防衛に成功した[15][16]

2017年2月28日、同年3月11日にメリーランド州オクソンヒル英語版MGMナショナル・ハーバー英語版内ザ・シアター内ザ・シアターにて、WBC世界フェザー級暫定王者のオスカル・エスカンドンと王座統一戦を行う予定だったが、エスカンドンがトレーニング中に負傷した為、試合は延期になった[17][18]

2017年5月20日、メリーランド州オクソン・ヒルのMGMナショナル・ハーバー内ザ・シアターにて、暫定王者のオスカル・エスカンドンと延期となっていた王座統一戦を行い、7回59秒TKO勝ちを収め王座統一を果たした(記録上は正規王座の2度目の防衛)[19][20]。6月8日、WBCはラッセルを2017年6月度の月間MVPに選出した[21][22]

2017年10月6日、WBCがWBC世界フェザー級王者のゲーリー・ラッセル・ジュニアとWBC世界フェザー級1位のジョセフ・ディアスに対し指名試合を行うよう指令を出した[23]

2018年5月19日、メリーランド州オクソン・ヒルのMGMナショナル・ハーバー内ザ・シアターにて、WBC世界フェザー級1位でNABFNABO北米フェザー級王者のジョセフ・ディアスと対戦し、12回3-0(115-113、117-111×2)の判定勝ちを収め、3度目の防衛に成功した[24]

2019年5月18日、バークレイズ・センターにてデオンテイ・ワイルダーVSドミニク・ブラジールの前座でキコ・マルチネスと対戦し、5回2分52秒ドクターストップによるTKO勝ちを収め、4度目の防衛に成功した[25]

2020年2月8日、PPL・センター英語版でWBC世界フェザー級1位でIBO世界フェザー級王者のツグスソグ・ニヤンバヤルと対戦し、12回3-0(118-110、116-112、117-111)判定勝ちを収め、5度目の防衛に成功した[26]

2022年1月22日、アトランティックシティボルガタ・ホテル・カジノ・アンド・スパ英語版内ボルガタ・イベント・センターでWBC世界フェザー級2位マーク・マグサヨと対戦し、12回0-2(2者が113-115、114-114)の判定負けを喫し6度目の防衛に失敗、6年10ヶ月に及ぶ王座から陥落した[27]

2022年5月24日、幼少時代からのトレーナーで父親のゲーリー・ラッセル・シニアが死去した。2型糖尿病に関連する合併症や軽度の脳卒中を患い、半年前に左脚を切断していた[28]

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戦績

  • プロボクシング:34戦 32勝 (19KO) 2敗
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獲得タイトル

脚注

関連項目

外部リンク

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