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サンタ・クルス・デ・テネリフェ

スペイン・カナリア諸島の都市 ウィキペディアから

サンタ・クルス・デ・テネリフェmap
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サンタ・クルス・デ・テネリフェSanta Cruz de Tenerife)は、スペインカナリア諸島州サンタ・クルス・デ・テネリフェ県にあるムニシピオ(基礎自治体)。

概要 州, 県 ...
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概要

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サンタクルスのスカイライン

テネリフェ島にあり、グラン・カナリア島ラス・パルマス・デ・グラン・カナリアと共同でカナリア諸島州の州都であり、サンタ・クルス・デ・テネリフェ県県都でもある。人口は約22万人[要出典]

地理

要約
視点

気候

冬季に雨が降るものの一年の半分以上が乾燥し、雨の降らない気候である。気温の年較差は小さく、海洋の影響を受けている。

さらに見る サンタ・クルス・デ・テネリフェ (1981–2010) 極値 (1920-2016)の気候, 月 ...

人口

サンタ・クルス・デ・テネリフェの人口推移 1900-2010
出典:INE(スペイン国立統計局)1900年 - 1991年[6]、1996年 - [7]
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歴史

この地にはグアンチェ族が住んでおり、アナガ王国の一部であった。スペイン人にとって新大陸へ向かう途中の重要な位置にあったため征服の目標となった。

カナリア諸島のほかの島々が征服されたのち、1494年にアロンソ・フェルナンデス・デ・ルーゴ(en)が上陸した。 彼は砦を築き、20年間グアンチェ族と戦ったのちにこの島を征服した。勝利の印に十字架(クルス)が建てられたために、町に「サンタ・クルス」の名前が付いた。

16世紀にはアメリカ大陸との中継地として重要な港になり、イギリスとの貿易で経済が発展した。イギリスはこの地の支配を狙い、1657年から1797年まで3回の攻撃(最後はネルソン提督による)を行ったが敗れた。

この町はサン・クリストバル・デ・ラ・ラグーナの一部だったが、19世紀はじめに独立した市となり、カナリア諸島の都となった。

1982年にカナリア諸島が自治州となると、ラス・パルマス・デ・グラン・カナリアと共同で州都となった。

対外関係

姉妹都市・提携都市

交通

航路

空港

サンタ・クルス・デ・テネリフェへのアクセスには、2つの国際空港テネリフェ・スール空港(テネリフェ南空港)、テネリフェ・ノルテ空港(テネリフェ北空港)が使われる。南空港はテネリフェ島の南部にありサンタ・クルス・デ・テネリフェからは60kmの距離で、おもにヨーロッパ各国からの便が発着する。北空港はサンタ・クルス・デ・テネリフェ市街から北西に11kmにあり、スペイン本土やカナリア諸島間の便、格安航空便に使われている。

鉄道

トラム

2007年、北空港のあるラ・ラグーナとの間にテネリフェ・トラム(路面電車)が開業した。

観光

名所旧跡

  • ヌエストラ・セニョーラ・デ・ラ・コンセプション教会 - 16世紀から17世紀にかけて建てられた。内部には「サンタ・クルス」の名の元になった木の十字架がある。
  • スペイン広場 - 中央にはスペイン内戦の死者の記念碑がある。

観光スポット

  • 軍事博物館 - ネルソン提督の右腕を奪ったという砲弾が展示されている。
  • 自然と人類博物館 - グアンチェ族時代の資料が展示されている。
  • セサル・マンリーケ臨海公園 - 芸術家セサル・マンリーケ(en)のスケッチに基づいて作られた公園。
  • ラス・テレシータス海岸 - 市街から8km北にある。70年代にサハラ砂漠の砂を運んで作られた大きな人口海岸。
  • アウディトリオ・デ・テネリフェ - サンティアゴ・カラトラバの設計によるコンサートホール。2003年オープン。

西隣には旧市街がユネスコの世界遺産に登録されているサン・クリストバル・デ・ラ・ラグーナがある。

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文化・名物

祭事・催事

ギャラリー

脚注

外部リンク

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