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サンティアゴ島
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サンティアゴ島(サンティアゴとう、ポルトガル語:Ilha de Santiago)は、アフリカ大陸のすぐ西の大西洋上に位置している、ソタヴェント諸島を構成する島の1つである。この島はカーボベルデにおける最大の島で、同国の総人口の約半数が暮らす。島の南東には、1975年以降のカーボベルデの首都であるプライアが位置する。

概要

サンティアゴ島は、マイオ島とフォゴ島に挟まれた、ソタヴェント諸島(風下諸島)の1つである。カーボベルデで定住が行われた最初の島で、1462年にリベイラ・グランデの町(現在のシダーデ・ヴェーリャ)が建設された。島の産業は農業が中心である。
地理
要約
視点
サンティアゴ島はカーボベルデ最大の島である。島は山がちで、アントニア山やマラゲタ山のように、山頂の標高が1,000メートルを超える山も見られる。島の南東部がわずかに平坦である。内陸部と東海岸の湿気のある気候と、南西岸から南岸の乾燥した気候が対照的である。首都で国最大の都市プライアは南東岸にある。島内の他の都市として、南岸のシダーデ・ヴェーリャ、島の中央に位置するかつての首都アソマダ、北部のタラファルなどがある。
東部にはポイランダムの貯水池と海岸のラグーンを含むペドラ・バデジョ湖沼群があり、ムラサキサギ、ケープベルデアシナガヨシキリ、セイタカシギ、シロチドリなどの渡り鳥または固有種の鳥類が生息しており、海岸はアカウミガメの営巣地でもある。沿海部ではハマビシ科ジゴフィルム属の植生が見られるが、内陸部では外来種のメスキートのProsopis julifloraが優占種となっている。2005年にラムサール条約登録地となった[1]。
自治体
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歴史

島は、1460年頃アントーニオ・ダ・ノリによって発見され、彼はシダーデ・ヴェーリャの地に駐屯地を築いてリベイラ・グランデと名付けた。大陸横断奴隷貿易が、シダーデ・ヴェーリャをポルトガル植民地第2の豊かな都市にした。ポルトガル本国は、イギリス、オランダ、フランス、スペインが奴隷貿易を引き継いだことからカーボベルデの植民地を守ることができず、後に島は海賊に荒らされるようになった。1712年、海賊に攻撃されたシダーデ・ヴェーリャはもはや首都の役割を果たせず、プライア平野へ首都が移された。ポルトガルの植民地組織によって島の人口は不利益を受け、住民たちはアミルカル・カブラルとギニア・カーボベルデ独立アフリカ党を支持し、1975年に独立を果たした。サンティアゴ島はクレオール文化における会議の主催国を数回務めている。
1831年末、博物学者としてチャールズ・ダーウィンが乗ったイギリス海軍のビーグル号が、1832年1月16日に本島のポルト・プラヤ港に停泊した[2]。
人口
サンティアゴ島にはおよそ29万人の人々が生活している。人口密度は297/km2で、カーボベルデの島々で最も高くなっている。
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経済
主幹産業は、農業、観光、漁業で、工業はわずかである。サトウキビ、トウモロコシ、バナナ、コーヒー、マンゴーなどが栽培されている。独立以後、学校、港湾、空港、道路といったインフラストラクチャーが改善された。
交通
島の空港としてはネルソン・マンデラ国際空港がある。
脚注
外部リンク
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