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サン・ペドロ・スーラ
ホンジュラスの都市 ウィキペディアから
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サン・ペドロ・スーラ (San Pedro Sula) は、ホンジュラス北西部に位置する。コルテス県の県都である。人口は、約74万3000人(2012年)。ホンジュラス第2の人口を有する産業都市である。しかし、実質的には隣接するチョロマ市(約30万人、2012年)やヨロ(ジョロ)県エル・プログレッソ市(約21万人、2012年)などと一緒にスラ・バレー・メトロポリタン・ゾーンという都市圏(人口約160万人、2012年)を形成している[1]。
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概要
平均気温は最高気温が31度、最低気温が22度と常夏の地である[1]。
首都テグシガルパに代わり、ホンジュラス経済の中心となっている[2]。
麻薬の経由地として機能しており、麻薬組織間の抗争によって殺人事件が多発している。世界でも最も治安が悪い場所であるとされる[2]。
歴史
要約
視点
1536年[3]6月27日、ペドロ・デ・アルバラードによって「サン・ペドロ・デ・プエルト・カバージョス (Villa de San Pedro de Puerto Caballos)」として、現在のコルテス県チョローマ (Choloma) の近くで創設された。当時はスーラ盆地に約18の先住民の村があった。初期の様子では、沼沢地と深い熱帯雨林で農業や牧畜にはほとんど向く土地がなかった。都市名はその後いくつかの変遷を経て、18世紀にはサン・ペドロ・スーラとなった。「スーラ」はナコ村の西にあった金鉱であるスーラ鉱山 (Minas de Sula) を由来とする。
このスーラ鉱山(金鉱)の金のため、最初の数年間はサンペドロに植民地政府の造幣所が置かれた。スペイン王室はここで精練された金の価値の1/5を徴収していた。造幣所はその後すぐグラシアス (Gracias) に移設され、最終的には1550年代にコマヤグアに移設された。
フランス系、イギリス系、オランダ系の海賊がたびたび町を襲撃し略奪することがあったため、スペイン人は町を現在の場所であるチャメレコン川沿いに移した。この地は不人気で、しばらく植民者が増えることはなかった。
それでも町の人口は1590年の800人から、1890年代には1万人に増加したが、その成長は19世紀に入ってからであった。1870年代から1880年代に開始されたバナナの輸出産業で、アメリカ合衆国の貿易商・実業家サミュエル・ザムライ (Samuel Zemurray)[4] のクヤメル・フルーツ社 (Cuyamel Fruit Company) との関係が出来、さらに1869年から1874年の間にプエルトコルテスからの鉄道も敷設されたことで町の繁栄が始まった。ザムライは地元の有力者との関係を築き、子会社に投資を受けながら政治力を発揮し税金をほとんど納めず、クヤメル・フルーツ社を成長させた[5]。結果として町は近隣の大平原に広がるバナナ農園の開発の中心として、人口が急増した。1902年には正式に市制施行された。
1920年代中盤には、この地域のバナナプランテーションのブームでより人口はさらに1万人から10万人に増加した。現在では都市圏全体では100万人を超え、さらに拡大を続けている。サン・ペドロ・スーラからバナナ農園、カリブ海のテラとプエルト・コルテスの港を結ぶ鉄道や、地元のパレスチナ系実業家の投資により、サンペドロ・スーラは産業都市に発展した。
1974年9月19日、ハリケーンが接近して被害多数。市街地が一時的に孤立した[6]。
21世紀に入ると、1998年に起きたハリケーンや2009年の軍事クーデターおよび政変による景気悪化により、急速に治安が悪化した[2][7]。メキシコのシンクタンクが発表している主要都市別の殺人事件発生率では、2011年、2012年と2年連続で世界最悪とされており、2012年には10万人あたり169人が被害に遭っているとされた[8]。USAトゥデイによると、2018年の殺人数は10万人あたり47人にまで減少した[9]。 その後もマラス (ギャング)の活動が活発になり治安が悪化。ギャング組織によるみかじめ料の徴集や抵抗する市民の殺害が相次いだため、アメリカへの移民(キャラバン)を志す住民も現れるようになった[10]。
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交通
航空
- ラモン・ビジェダ・モラレス国際空港:市街地より11kmの距離にあり、 北西ホンジュラスの玄関口となっている。IATAコードはSAP。ホンジュラスで最も乗降客の多い空港となっている。
中長距離バス
サン・ペドロ・スーラにはグラン・セントラル・メトロポリターナ (Gran Central Metropolitana de Autobuses de San Pedro Sula) と呼ばれる中央バスターミナルがあり、国内各都市行き及び国際バスの発着地となっている。ショッピングモールも併設されている、中央アメリカ最大のバスターミナルである[11] 。
ホンジュラスでは、中長距離バスは国内各都市を移動するのに便利な交通手段であり、このバスターミナルが旅行者や市民にとって主要ハブとなっている。

市内交通
サン・ペドロ・スーラは公共交通機関が充実している。市内を巡回する市バスに加え、「ラピディート (Rapidito)」と呼ばれるミニバスが走っている。タクシーは全て白色をしており、番号付きで見つけやすい。「コレクティーボ (colectivo)」と呼ばれる固定ルートを走る乗り合いミニバスもあり、利用者は必要な区間のみ乗り指定の料金を払う仕組みになっている。
鉄道
サン・ペドロ・スーラにはホンジュラス国営鉄道(Ferrocarril Nacional de Honduras、略称:FNH)の駅が市街中心部にあり、鉄道路線はカリブ海に面したプエルト・コルテスまで通じているが、現在旅客サービスは停止中。貨物列車のみ運行している[12]。
観光

博物館
サン・ペドロ・スーラには主要な博物館が3つある。
- 人類学歴史博物館 (Museo de Antropología e Historia):ホンジュラス人類学研究院による考古学や史料の展示がある。
- 自然科学博物館 (Museo de la Naturaleza):この地域の動植物についての博物館。
- こどもプラネタリウム (Planetario Infantil):プラネタリウムと天文学博物館。
公園
- 中央公園:市街中心地で、この都市の中央に位置する公園。市庁舎や大聖堂が面している。
地理
要約
視点
気候
サン・ペドロ・スーラは、ケッペンの気候区分ではサバナ気候、Aw。ハリケーンや熱帯暴風雨を受けることが多く、西アフリカやカリブ海の南部で形成された嵐がハリケーンシーズン中に向かって来ることが多い。
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出身者
→詳細は「Category:サンペドロスーラ出身の人物」を参照
- ルイス・ロペス・フェルナンデス - サッカー選手
- マウリシオ・デュボーン - 野球選手
対外関係
姉妹都市・提携都市
- 姉妹都市
脚注
参考文献
関連項目
外部リンク
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