トップQs
タイムライン
チャット
視点

シマロン (1931年の映画)

ウィキペディアから

シマロン (1931年の映画)
Remove ads

シマロン』(Cimarron)は、1931年アメリカ合衆国の映画RKO製作。第4回アカデミー賞(1930〜1931年)にてアカデミー賞最優秀作品賞アカデミー賞最優秀脚色賞の2部門を受賞した。

概要 シマロン, 監督 ...
Remove ads

概要

原作は、当時ハリウッドでは片っ端から映画化されたベストセラー女流作家エドナ・ファーバーが1929年に発表した、壮大なスケールの米国開拓史劇である。同じ原作を元に、1960年に再映画化もされている。

本作はグレート・ランや無法者たちとの撃ち合いなど西部劇的な見所も多数あるが、女性が政界に進出したり、インディアン油田の発見で富を得たり、米西戦争が勃発したりということで、近代の米国史の流れがこの作品の厚みと興味を増している、従来の西部劇とは一線を画す特異な作品である。

あらすじ

1889年のオクラホマにおける土地獲得レース、いわゆるグレート・ランが冒頭に出てくる。ウィチタ出身の放浪好きなヤンシー・クラバットがこのレースに参加しようとするが、悪徳一味の情婦ディクシー・リー(エステル・テイラー)にたぶらかされ土地獲得に失敗。故郷に戻った彼は周囲の反対を押し切り妻セーブラと息子を連れて再びオクラホマへ。オーセージという街で新聞の発行を試み、無法者たちの天下だった町の浄化に貢献、さらに悪党一味と闘い続け名士となるが、持ち前の放浪癖が顔を出し、平和になった町を後にして旅立つ。

町に残った妻セーブラは息子シマロン(シム)を育てながら新聞社の経営に努力し、女性たちの社会的地位の向上に努め、ついに下院議員に選出される。成長した息子シムはインディアンの娘と恋に落ち、母の反対を押し切って結婚する。オクラホマに石油が出たことでオーセージもその恩恵で潤い、急速に近代的な町になっていく。

時は流れ1931年、老いたヤンシーは油田の事故で人命救助にあたった際に重傷を負い、急を聞いて駆けつけたセーブラの腕に抱かれて微笑みを浮かべながら死ぬ。

Remove ads

キャスト

  • ヤンシー:リチャード・ディックス
  • セイブラ:アイリーン・ダン
  • ディクシー:エステル・テイラー
  • トレイシー:エドバ・メイ・オリバー
  • リッキー:ロスコー・エイツ
  • ソル・レビー:ジョージ・E・ストーン
  • フェリス:ナンス・オニール
  • キッド:ウィリアム・コリアー・Jr

スタッフ

  • 監督: ウェズリー・ラッグルズ
  • 製作: ウィリアム・ルバロン
  • 原作: エドナ・ファーバー
  • 脚本: ハワード・エスタブルック
  • 撮影: エドワード・クロンジャガー
  • 音楽: マックス・スタイナー

エピソード

  • 西部劇初のアカデミー賞受賞作品である。
  • 原作、映画共に実在の人物をモデルとしている。
  • 映画化権料が当時12万5千ドル支払われた。
  • 映画冒頭のグレート・ラン(land rush)には5000名のエキストラ、28名のカメラマン、6名のスチル・カメラマン、27名のカメラ助手がついて、撮影に1週間かかった。
  • アカデミー賞最優秀作品賞を獲得したにもかかわらず、この作品でRKOは約55万ドル(インフレを考慮すると現在約5800万ドル)の損失を出した。1935年再公開した際でも約143万ドルの予算で差し引き56万ドルの赤字が残った。現在まで最優秀作品賞を獲得しながら、赤字となった唯一の作品と言われている。これは、獲得の年に襲った大恐慌の影響ではという説もある。
  • また本作は、制作会社RKO唯一のアカデミー賞最優秀作品賞を獲得した作品である。のちに同じく作品賞に輝いた『我等の生涯の最良の年』(1946年)はRKOが配給したが、制作は独立プロデューサー、サミュエル・ゴールドウィン・プロの作品である。
Remove ads

日本語吹替

  • パブリックドメインDVD版(発売元:マックスター、ミック・エンターテイメント)

脚注

外部リンク

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads