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ジェネシス・P・オリッジ

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ジェネシス・P・オリッジ
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ジェネシス・P・オリッジ (Genesis Breyer P-Orridge、本名Neil Andrew Megson 1950年2月22日 - 2020年3月14日[1])は、イギリスマンチェスターにあるヴィクトリア・パーク英語版出身のアーティスト、ミュージシャン、パフォーマンスアーティスト、俳優。インダストリアル・ミュージックの創始者のひとりとして、また新興宗教団体テンプル・オブ・サイキック・ユースの創始者としても知られる。性別に関してはサード・ジェンダーを自認している[2]

概要 基本情報, 出生名 ...
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経歴

イギリスのマンチェスターに生まれたニール・アンドルー・メグスン、のちのジェネシス・P・オリッジは、Solihull School でオカルトアバンギャルドを学び、ハル大学に移ったのち、ロンドンカウンターカルチャーに携わることになる(この頃からジェネシス・P・オリッジと名乗り始める)。その後キングストン・アポン・ハルに戻り、当時の交際相手であったコージー・ファニ・トゥッティと共にクーム・トランスミッションを結成した。

クーム・トランスミッションの活動の後、オリッジはトゥッティとクリス・カーター、ピーター・クリストファーソンと共にインダストリアル・ミュージックのバンドスロッビング・グリッスル1975年に結成。1981年で一度活動を終え、2003年に活動再開し2010年に解散している(なおオリッジはツアー活動を拒否しバンドを脱退している)。

スロッビング・グリッスルの最初の活動終了後、オリッジはバンドメイトであったクリストファーソンらと共にサイキックTVを結成。メンバーと音楽性を変えつつ、活動休止を挟みながら現在も活動している。その一方、ソロとしても活動し、秋田昌美ゼヴなどとコラボレーションを展開した。

1981年、オリッジは新興宗教団体テンプル・オブ・サイキック・ユース(Thee Temple ov Psychick Youth)の結成メンバーとなる。黒魔術性魔術にもとづく自己変革を目指した団体である。この活動のため、オリッジはイギリス国外退去処分をうけ、現在の居住地のニューヨークに移ることとなる。

2017年10月に慢性骨髄単球性白血病と診断され[3]、2020年3月14日にニューヨーク市で70歳で死去[1][4]

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人物

日本の音楽雑誌ミュージック・マガジン1980年8月号のインタビューで、ジェネシス・P・オリッジは自らが「普通の仕事ができない精神の持ち主で、仕事をしてもすぐに問題を起こして解雇されるだろう」とし、実際、インタビュー当時イギリス政府から恩給を貰っていると語っている。

オリッジの代名詞として語られている、「パンドロジェニー・プロジェクト(Pandrogeny Project)」(いわゆる性転換)は、2番目の妻であるレディー・ジェイ(Jacqueline Mary Breyer、2007年死去)の外見を目指して行われたものである。[5]

音楽

(ジェネシス・P・オリッジ 名義)

  • Interview By TOPYSCAN
  • The Industrial Sessions 1977
  • What's History (1983)
  • "Je T'Aime" (1985)
  • Alaura/Slave Priest (1990)
  • What's History (1990)
  • At Stockholm (1995)
  • Vis Spei (1995)
  • A Perfect Pain (With Merzbow) (1999)
  • Direction Ov Travel (2002)
  • Painful 7 Inches (2002)
  • Wordship (2003)
  • When I Was Young (2004)

(Thee Majesty名義)

  • 「VITRUVIAN PAN」(2007)

映画作品

脚注

関連項目

外部リンク

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