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ジェファーソン・エアプレイン (アルバム)

ジェファーソン・エアプレインのアルバム ウィキペディアから

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ジェファーソン・エアプレイン』(Jefferson Airplane) は、アメリカ合衆国ロックバンドジェファーソン・エアプレイン1989年に再結成して17年ぶりに発表した、通算8作目の新作スタジオ・アルバムである[1]

概要 『ジェファーソン・エアプレイン』, ジェファーソン・エアプレイン の スタジオ・アルバム ...
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解説

要約
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経緯

1987年5月、オリジナル・メンバーのポール・カントナーは同じくオリジナル・メンバーのヨーマ・カウコネンに招かれて、サンフランシスコのグレイト・アメリカン・ミュージック・ホールでカウコネンが率いるホット・ツナのステージに立った[2]。その後、両者は共にツアーに出て何が起こるか見てみようと決め、ホット・ツナとカントナーは同年12月のシカゴ公演を皮切りにツアーを開始して、ホット・ツナ、KBC バンド、ジェファーソン・エアプレインの曲を披露した[2]

1988年3月4日、彼等はサンフランシスコのフィルモアのステージに立った。この時、元メンバーで当時ホット・ツナに在籍していたジャック・キャサディの提案で、やはり元メンバーで前月にスターシップを脱退して引退したばかりのグレイス・スリックが招かれた[注釈 1][3]

これらの出来事を経て同年の後半、ジェファーソン・エアプレインを再結成して新作アルバムの発表とツアーを行なうことが初めて話し合われた[3]。オリジナル・メンバーのマーティ・バリンはカントナー、キャサディと結成したKBC バンドが1987年に解散した後、自ら率いる新しいバンドであるザ・ウルフパック(The Wolfpack)と活動していたが、1989年3月に電話で再結成に誘われ、独立した請け負い業者、いわば雇用者として契約した[4]。こうして、1967年から1970年まで在籍した6名のうち、スペンサー・ドライデンを除く[注釈 2][5]5名が集まった。

新作アルバムのプロデューサーには、ジェファーソン・スターシップやスリックのアルバムのプロデューサーを務めたロン・ネヴィソン[注釈 3]が招かれた[5]。ネヴィソンはドライデンに代わるドラマーにジョン・メレンキャンプの作品で知られるケニー・アロノフを起用した[5]。新作アルバムの制作には、旧友のニッキー・ホプキンス[注釈 4]をはじめ、カウコネンの弟ピーター・カウコネン、元タートルズフロ&エディ[注釈 5]TOTOマイク・ポーカロスティーヴ・ポーカロデヴィッド・ペイチらが招かれた[6][注釈 6]

内容

全13曲中、スティーヴ・ポーカロとペイチの共作1曲を除いて全てメンバーの単独作もしくは共作で、「ソリダリティ」はベルトルト・ブレヒトの詩の英訳にバリンが曲をつけたものである[6]

カントナー作の「マドレーヌ・ストリート」と「ザ・ホイール」はKBC バンドのデビュー・アルバムの収録曲「マリエル」と共に、彼が呼ぶところの「ニカラグア三部作」を構成している。「ザ・ホイール」は中央アメリカの革命家たちの詩、とりわけ若くして死んだグアテマラオットー・カスティーロの"For the Good of All'に奮起されて書かれた楽曲である[6]

カウコネンの「アイス・エイジ」はそれまでにホット・ツナのステージで演奏されていた曲[1]。スリックの「パンダ」は絶滅寸前の動物に対する愛と近視眼的で金銭に飢えた商人による密猟の撲滅に対する嘆願を歌った曲である[7][注釈 7]

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収録曲

要約
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邦題は日本盤に準拠[8]

CD

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オリジナルLP

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参加ミュージシャン

脚注

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