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ジョゼ・セルジオ・プレスティ
ブラジルのサッカー選手、監督 ウィキペディアから
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ゼ・セルジオ(Zé Sérgio)ことジョゼ・セルジオ・プレスティ(José Sérgio Presti、1957年3月8日 - )は、ブラジル出身で元同国代表のプロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはフォワード(左ウイング[1])。元ブラジル代表のリベリーノの甥にあたる[1]。

実娘のタイーザ・プレスティ (Thaíssa Presti) は陸上選手で、北京オリンピック女子400mリレーのブラジル代表選手。
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来歴
選手時代
現役時代は左ウイングとしてブラジルのサンパウロFCで活躍[1][2] 、サントスFCでもプレーした。サントスでは、三浦知良とポジションを争ったこともあったが、三浦はポジションを奪えず、すぐに移籍した[3]。
ブラジル代表では25試合5得点[2]。1978年には21歳でワールドカップ・アルゼンチン大会のブラジル代表メンバーにジーコやリベリーノ、トニーニョ・セレーゾらと共に名を連ねたが[1]、怪我のため本大会での出場機会はなかった。
1988-1989シーズンからは来日し、JSLの日立製作所サッカー部(現・柏レイソル)で2シーズン間に渡ってプレーした。1989年10月1日、国立霞ヶ丘陸上競技場で行われたJSLオールスターサッカーではチームメイトの水島武蔵と共にEASTの選手として出場し、MVPを獲得した[4]。
指導者として
現役引退後はコーチとしてそのまま日立および柏レイソルに留まり、1993年9月から監督代行、カレッカを直接勧誘し[5]入団させた。1994年からは正式に監督に就任した。同年のジャパンフットボールリーグで2位となりクラブとして念願のJリーグ昇格を果たす[5]。1995年のJリーグ・サントリーシリーズ(前期)でリーグ最下位の14位に沈み[6]、任期途中で解任された。
その後、ブラジルへ帰国。故郷のサンパウロ州で自身の名を冠した若手育成の為のサッカーセンターを運営している。2003年頃から古巣のサンパウロFCに誘われ、下部組織の指導に携わる。2005年からはサンパウロFC・U-17チームの監督を務める。デニウソンやブレーノをはじめとする多くの有望選手を育てた。2012年、パウリスタFCの監督に就任したセルジオ・バレージの後を受けてサンパウロFC・U-20チームの監督に昇格した。
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所属クラブ
- 1977年 - 1984年
サンパウロFC
- 1984年 - 1986年
サントスFC
- 1986年 - 1987年
CRヴァスコ・ダ・ガマ
- 1988年 - 1990年
日立製作所
個人成績
代表歴
- ブラジル代表
- 1978年 - FIFAワールドカップ
- 1979年 - コパ・アメリカ
- 1980年 - ムンディアリート
試合数
- 国際Aマッチ 25試合 5得点(1978年-1981年)[7]
指導歴
監督成績
- 1993年は監督代行。
- 1995年はサントリーシリーズ(第1ステージ)のみ指揮。順位はサントリーシリーズのもの。
タイトル
クラブ
- サンパウロFC
- ブラジル全国選手権 1回 (1977年)
- サントスFC
- CRヴァスコ・ダ・ガマ
- リオデジャネイロ州選手権 1回 (1987年)
脚注
関連項目
外部リンク
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