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ジョージ・カール

アメリカのバスケットボール選手、ヘッドコーチ (1951 - ) ウィキペディアから

ジョージ・カール
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ジョージ・マシュー・カール (George Matthew Karl, 1951年5月12日 - ) は、アメリカ合衆国出身の元バスケットボール選手、指導者。ペンシルベニア州ペンヒルズ出身。身長188cm。ポジションはガード。NBAヘッドコーチとして有名な人物。シアトル・スーパーソニックスミルウォーキー・バックスデンバー・ナゲッツサクラメント・キングスなどのヘッドコーチを歴任した。

概要 引退, ポジション ...
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キャリア

ノースカロライナ大学出身。1973年にサンアントニオ・スパーズと契約。スパーズは当時ABAに所属していた。1973年から1976年までをABAで、その後1978年までをNBAで、控えのポイントガードとしてプレーし、264試合に出場し、平均6.5得点、3アシストの成績を残している。

コーチ

要約
視点

カールはNBA時代のスパーズのアシスタントコーチとなる。2年後に、CBAモンタナ・ゴールデンナゲッツ(グレートフォールズ)のヘッドコーチとなる。カールは2回、最優秀CBAコーチを獲得した。1983年にクリーブランド・キャバリアーズのフロント入り、1984年に正式にヘッドコーチとなる。67試合采配を振って解任。その後、ゴールデンステート・ウォリアーズのヘッドコーチを務めるも2年目で辞任。この時代、コーチとして結果を残せなかった。再びCBAのオールバニ・パトルーンズで4年間コーチに就任。

カールは1991-1998年からのシアトル・スーパーソニックスのヘッドコーチとしてNBAに戻る。1991-92年のシーズン途中の20勝20敗から就任して47勝35敗の成績でプレイオフに出場する。ゲイリー・ペイトンショーン・ケンプを中心に1992-1998までの6年間は55勝以上し、1994年にはウェスタン・カンファレンス第1シードであったもののプレーオフ1回戦で第8シードのデンバー・ナゲッツに敗れた。NBAプレーオフで第1シードが第8シードに敗れたのはこれが初めてであった。その後1996年にはNBAファイナルまで進んだが2勝4敗でシカゴ・ブルズに敗れた。このファイナルでは第3戦まで守備のスペシャリストのネイト・マクミランを欠いた。

1998年に、ヘッドコーチとしてミルウォーキー・バックスへ移った。レイ・アレングレン・ロビンソンサム・キャセールらを上手く起用し、2001年には52勝30敗。しかし、その後アレンや、ロビンソンとの関係が悪くなり、二人はトレード。自身は、2003年のシーズン後に解任された。

2005年の1月27日に臨時のヘッドコーチのマイケル・クーパーと交代してデンバー・ナゲッツのヘッドコーチになった。2004-05シーズンの後半にナゲッツは32勝8敗を記録した。2005年7月、前立腺癌に罹っていることを明らかにしたがこれを克服、2006年12月28日に、ナゲッツが112-98でスーパーソニックスを破った時にカールはコーチとして800勝を記録した。

2009-10シーズン、4度目となるオールスターゲームのコーチを務めたがその後、喉頭癌の治療のためチームを離れた[1]。2010-11シーズン、チームに復帰し、2010年12月10日に史上7人目の通算1000勝を達成した。その後2012-13シーズンの最優秀ヘッドコーチ賞を受賞しながらも、プレーオフ1回戦敗退の責任を取らされ解任された。

2014-15シーズン途中に、サクラメント・キングスのヘッドコーチに就任[2]。2016年1月2日のフェニックス・サンズ戦に142-114で勝利し、NBAヘッドコーチ歴代5位タイとなる通算1155勝目の勝利を挙げた[3]。しかし、ここ10年にも及ぶキングスの低迷に歯止めをかけることは出来ず、2015-16シーズン終了後の4月14日に解任された。

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実績

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家族

息子のコビー・カールボイシ州立大学を卒業後、ロサンゼルス・レイカーズの控えガードを務めた後、数チームでプレーした。彼もまた甲状腺癌に罹ったがこれを克服している。

脚注

外部リンク

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