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ジョー・ディートン

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ジョー・ディートンJoe Deaton、本名:Joel Lofton Jones1957年4月9日 ‐ )は、アメリカ合衆国の元プロレスラーテキサス州タイラー出身[2]

概要 ジョー・ディートン, プロフィール ...

1980年代後半から1990年代にかけて、全日本プロレスの常連中堅外国人として活躍した[3]。出身地はノースカロライナ州シャーロットともされる[3]

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来歴

野球選手を目指していたが、兄のデビッド "ホス" ディートンの勧めもあって1970年代後半にプロレス入り[3]ジョエル・ディートンJoel Deaton)と名乗り、キャリア初期はデビッドとのカウボーイギミックの兄弟タッグチームジ・アウトローズThe Outlaws)としてNWA南部テリトリーで活動[5]ジョバーのポジションではあるが、フロリダCWFでは1982年ジャック・ブリスコ&ジェリー・ブリスコのブリスコ・ブラザーズとも対戦した[5]

1983年より、ジム・クロケット・ジュニアが主宰していたNWAミッドアトランティック地区に転戦。リッキー・スティムボートボブ・オートン・ジュニアザ・グレート・カブキロディ・パイパーマイク・ロトンドらメインイベンターのジョバーを務めた[5]。以降、長期にわたり同地区のジョバー要員として、TVテーピングやハウス・ショーのアンダーカードに出場[6][7]J・J・ディロンマネージャーに迎え[1]サンダーフットThunderfoot)なる覆面レスラーに変身したこともある[8]

1987年8月、ジョー・ディートンJoe Deaton)のリングネーム全日本プロレスに初来日[3]全日本プロレス中継のディレクターの村上和彦[9]が、プロレスニュースなどで「いい奴」とのキャラクター付けをした結果[10]、人気が出てシリーズの参加回数が増えた[11]

1991年7月18日、ビリー・ブラックと組んで小橋健太&ジョニー・エースからアジアタッグ王座を奪取[12]。年末の世界最強タッグ決定リーグ戦には1990年ディック・スレーターと組んで初参加していたが、以降ブラックとのコンビで1991年と1992年に連続出場した[13]

1990年代中盤は悪役商会と組む機会が増え、永源遙と同じピンクのタイツを履いて出場したり、ラッシャー木村とのマイク合戦を繰り広げたりなど、外国人選手として特異な地位を獲得した[14][15]

1997年7月のWAR参戦[16]を最後に来日が途絶え、アメリカでもセミリタイア状態となっていたが[17]2019年2月19日、ジャイアント馬場没後20年追善興行において22年ぶりの日本マット登場が実現[18]。当日はバトルロイヤルに参加した他[19]アブドーラ・ザ・ブッチャーの引退式ではブッチャーの車椅子を押していた[20]。なお、ブッチャーとは全日本プロレス参戦以前にも、サンダーフット変身時の1985年にNWAミッドアトランティック地区でタッグを組み、ロックンロール・エクスプレスが保持していたNWA世界タッグ王座に挑戦したことがある[21]

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得意技

獲得タイトル

脚注

外部リンク

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