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スズキ・ワールドラリーチーム

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スズキ・ワールドラリーチーム
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スズキ・ワールドラリーチーム (Suzuki World Rally Team) は、かつてスズキスポーツの一組織として、世界ラリー選手権 (WRC) に参戦していたスズキワークス・チームである。別名、スズキWRCチャレンジ (Suzuki WRC Challenge)。

概要 チーム代表, テクニカルディレクター ...

2007年ツール・ド・コルスでデビューし[4]2008年シーズンをマニファクチャラー・チャンピオンシップ5位という成績で終えた後、WRCからの撤退を発表した[5]。スズキはこの決定の理由として、経済危機による自動車販売台数の減少を挙げているが、景気が悪化する前の時点で、スズキが撤退の準備をしているという旨の報道がなされていた[6]

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歴史

要約
視点

JWRC (2002年 - 2007年)

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スズキ・スイフト・スーパー1600

2002年、スズキはイグニス・スーパー1600で世界ジュニアラリー選手権 (JWRC) への参戦を開始した。翌年、ダニエル・カールソンが2つのラリーで優勝し、2004年には、パー・ガンナー・アンダーソンがドライバーズチャンピオンに輝いた。2005年は、シリーズ全戦での経験を得るため、世界ラリー選手権 (WRC) の全16戦に参戦し、フィンランドで新モデルであるスイフト・スーパー1600を発表した。この年、イギリス人ドライバーのガイ・ウィルクスがドライバーズ・チャンピオンシップ2位の成績をおさめた。2007年はチームにとって、JWRCでの過去最高の年となった。アンダーソンが2度目のタイトルを手にし、同じくスイフト・スーパー1600をドライブするウルモ・アーヴァも2位につけた。

2007年

スズキ・SX4 WRCのテストは、2007年2月に日本、3月にヨーロッパで行われた[7]。4月には南フランスでグラベルでのテスト走行が実施された[8]

コルシカ島で開催されたツール・ド・コルスで、SX4 WRCはコンペティティブなデビューを飾った。ドライバーはニコラ・ベルナルディコ・ドライバージャン=マルク・フォルタンで、いくつかのステージではトップ10に迫るタイムを記録した[3][9]。チームは、この年のウェールズ・ラリーGBにも参戦した。ウェールズ・ラリーGBには、ドライバーがセバスチャン・リンドホルム、コ・ドライバーがトミ・トゥオミネンという体制で臨んだ[4]

2008年

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2008年のツール・ド・コルスでトニ・ガルデマイスターがドライブするSX4 WRC

2007年12月17日、2008年シーズンはトニ・ガルデマイスターとパー・ガンナー・アンダーソンというドライバーラインナップで臨むことが発表された[10]。また、ミシェル・ナンダン英語版に代わって稲垣秋介テクニカルディレクターに就任、川田輝がチームマネージャーに任命された[2]

開幕戦のラリー・モンテカルロではアンダーソンが8位につけ、マニファクチャラーポイントを2ポイントを獲得するという好調な滑り出しとなった。続くラリー・スウェーデンでも、ガルデマイスターが7位でフィニッシュし、スズキは3ポイントを獲得した[11]。この2戦ではヘッドガスケットの欠陥によるエンジントラブルに苦しめられ、ラリー・モンテカルロではガルデマイスターが、ラリー・スウェーデンではアンダーソンがリタイアした。第3戦のラリー・メキシコでは2台ともがリタイアすることとなった[12]

いくつかのラリーで信頼性の問題に苦しめられた後、ラリー・ニュージーランドでアンダーソンが6位、ガルデマイスターが7位という過去最高のリザルトを残した。ホームイベントであるラリージャパンでは、その結果を上回る5位と6位を獲得したほか、札幌ドームで行われたスーパーSSで、ガルデマイスターがスズキとSX4 WRCにとって初めてのステージトップタイムを記録した。ウェールズ・ラリーGBでは、アンダーソンが序盤、表彰台圏内を走り、最終的に5位でフィニッシュ、ガルデマイスターがミッコ・ヒルボネンの前の7位でフィニッシュした。

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戦績

JWRC

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WRC

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ギャラリー

脚注

外部リンク

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