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セイドゥ・ケイタ

マリのサッカー選手 ウィキペディアから

セイドゥ・ケイタ
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セイドゥ・ケイタ(Seydou Keita, 1980年1月16日 - )は、マリバマコ出身の元サッカー選手。元同国代表。ポジションはMF(センターハーフ)。

概要 セイドゥ・ケイタ, 名前 ...
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経歴

要約
視点

クラブ

マルセイユ

マリ共和国バマコで生まれたケイタは、17歳の時にフランスオリンピック・マルセイユに加入。3年間の在籍では主にリザーブチームでプレーした。

1999年9月19日に1-0で勝利したトロワAC戦でデビューを果たし、同シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ 1999-2000で3試合に出場したが、2000年夏に退団した。

ロリアン / ランス

2001年にリーグ・ドゥFCロリアンに加入すると、すぐさまチームに欠かせない重要な選手となり37試合1得点でリーグ・アン昇格に尽力した。翌シーズンは怪我のため、出場機会が僅かに減少したもののクープ・ドゥ・フランス決勝のSCバスティア戦で90分フル出場しクラブ史上初タイトルに貢献。クープ・ドゥ・ラ・リーグではタイトル獲得こそならなかったが決勝まで進出したが、一方リーグ戦では18位と最下位に終わり、1年で2部に戻ることとなった。

2002年UEFAチャンピオンズリーグ 2002-03出場のため強化を望んでいたRCランスに引きぬかれた。5年間の在籍で最終的にチームの主将を任せられ、最後の年となった2006-07はリーグ戦5位・UEFAカップ2006-07ベスト16に終わりタイトル獲得こそならなかったが、個人としてはキャリア最高の11得点を挙げた。この年の最優秀選手はフローラン・マルダに次ぐ2位と惜しくも逃したが、ベストイレブンの方に選出された。

セビージャ

2007年7月11日、4年契約でリーガ・エスパニョーラセビージャFCに移籍[1]レアル・マドリードとのスーペルコパ・デ・エスパーニャで両試合に出場し、2試合合計6-3でタイトルを獲得した。

11月27日のUEFAチャンピオンズリーグアーセナルFC戦(3-1)で同大会初得点を挙げ[2]イングランドの強豪に2007-08シーズン初の負けをつけた。同シーズンは、チームは5位に終わりUEFAチャンピオンズリーグ 2008-09出場権を逃したものの、個人としてはリーグ戦31試合・UEFAチャンピオンズリーグ9試合に出場し、11月3日のレアル・マドリード戦での得点も含めて計7得点と成功を収めた。

バルセロナ

2008年5月26日、FCバルセロナと4年契約を交わし、同クラブに所属した初のマリ人選手となった[3]。移籍金は約1400万ユーロと推定され、違約金は9000万ユーロに設定された[4]。8月13日のUEFAチャンピオンズリーグ予選・ヴィスワ・クラクフ戦でデビューしてホームで4-0と勝利を収め[5]、8月31日のCDヌマンシア戦で1点のビハインドを追いかける中で後半にアンドレス・イニエスタに代わり途中出場しリーグ戦デビューをしたが、追いつくことは叶わずアウェーの地で0-1と敗れた[6]。11月16日のレクレアティーボ・ウェルバ戦(2-0)で移籍後初得点を挙げた。11月23日のヘタフェCF戦(1-1)でリーグ戦2得点目を決め、ビジャレアルCF戦(2-1)で3得点目を決めた[7]。UEFAチャンピオンズリーグ準々決勝のバイエルン・ミュンヘン戦ファーストレグでは1得点を決めた。決勝のマンチェスター・ユナイテッドFC戦では72分にFWティエリ・アンリと交代で出場し、優勝の瞬間をピッチで経験した。

2009-10シーズン第8節のレアル・サラゴサ戦(6-1)ではキャリア初のハットトリックを達成する[8] など、出場29試合中先発23試合と国内リーグ連覇に貢献した。2010-11シーズンも変わらずレギュラーとしてプレーしていたことから2010年8月31日にクラブとの契約を2014年まで延長した[9] が、翌シーズンになると出場機会の減少に伴い移籍を希望した。

大連阿爾濱

2012年7月7日、4シーズン過ごしたクラブを離れることが発表[10] され、その2日後に中国スーパーリーグ大連阿爾濱足球倶楽部へ移籍することが決定した[11]

バレンシア

2014年1月30日、バレンシアCFへの移籍が合意し、1年半ぶりにスペインに復帰した[12]

ローマ

2014年6月、ASローマへの移籍が決定。契約は1年間。2015年7月14日に契約を一年延長し[13]、2015-16シーズン終了後に契約満了となった。

アル・ジャイシュ

2016年8月17日、カタール・スターズリーグアル・ジャイシュと半年間の契約を締結したことを発表した。

代表

U-20代表時代に参加した1999 FIFAワールドユース選手権では、3位決定戦のU-20ウルグアイ相手に唯一の得点を挙げるなど活躍し、最優秀選手に輝いた。

2000年4月9日、2002 FIFAワールドカップ・アフリカ予選リビア戦でマリ代表としてデビューし、アフリカネイションズカップに6度出場している。2010年1月に開催されたアフリカネイションズカップ2010開幕戦ではホスト国のアンゴラ戦(4-4)では2得点を挙げ、3試合目のマラウイ戦 (3-1)でも得点を決めているがグループリーグを突破することは出来なかった。また、南アフリカ共和国で開催されたアフリカネイションズカップ2013でもホスト国相手に得点を決めている。

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人物

マリサッカー界の英雄FWサリフ・ケイタをおじに持ち[14]、同じくマリ代表でプレーする従兄弟のモハメド・シッソコを始め親族に多くのサッカー選手がいる。2008年5月12日にセビージャ市内の病院で第1子が生まれた。

個人成績

2016年9月1日時点[15][16]
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タイトル

クラブ

ロリアン
RCランス
セビージャ
バルセロナ

個人

脚注

外部リンク

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