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セルビアの郡
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セルビアの郡(セルビアのぐん)では、セルビアの第1級行政区分である郡(セルビア語:округ / okrug)について述べる。セルビアでは、各基礎自治体は郡に属している。

スラヴ諸語で「округ / okrug」(オクルグ)は複数の国の行政区分の呼称として用いられている。その意味はドイツ語の行政区分の呼称「Kreis」(クライス、日本語では「郡」と訳される)と同様に「円」や「囲い」のような意味である。セルビアの「okrug」は、日本語では「郡」あるいは「管区」と訳される。
用語
セルビアの領域区分については、国民議会によって1991年7月24日に承認された「領土構成と地方自治行政の法」によって定められており(1999年に改定された[1])。この法によれば、「共和国の領土構成は、地域行政を実行する市と基礎自治体を包含するものであり、ベオグラード市は独自の領域区分とし、また自治州は領域的な自治を形作るものである」としている。
1992年1月29日の法の施行時に、セルビア政府は郡を「国家機構の地域的拠点」とし、関係省庁の施策を実行するものと定めた。それに加えて、1999年の国際連合安全保障理事会決議1244によって、南部のコソボ・メトヒヤ自治州は国際連合の統治となり、その地域行政区分は国連暫定統治機構によって変更された。セルビアはこの変更の有効性を認めておらず、セルビアの定める地域区分は29の郡(中央セルビア、ヴォイヴォディナおよびコソボの合計)とベオグラード市に分けられている[2]
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郡の一覧
要約
視点
中央セルビアの郡
中央セルビアには17の郡がある。

ヴォイヴォディナの郡
ヴォイヴォディナ自治州には7つの郡がある。

コソボ・メトヒヤの郡
コソボ・メトヒヤ自治州には5つの郡がある。
1999年以降、コソボ・メトヒヤ自治州は国際連合コソボ暫定行政ミッション(UNMIK)の統治下となり、セルビアの統治権はほぼ排除された。UNMIKは行政区分を改編し、それまでの5つの郡に代えて7つの郡を設定した。以下に改編前(セルビアが使用)の郡を示す。

UNMIK による改編
→「コソボの郡」も参照
国際連合コソボ暫定行政ミッション(UNMIK)は2000年、コソボの行政区分に次のような変更をもたらした。
- コソヴスカ・ミトロヴィツァ郡はそのままミトロヴィツァ郡 / コソヴスカ・ミトロヴィツァ郡となった。
- ペチ郡は、ペヤ郡 / ペチ郡とジャコヴァ郡 / ジャコヴィツァ郡に分割された。
- オラホヴァツ基礎自治体はジャコヴィツァ郡に編入された。
- コソヴォ郡はプリシュティナ郡とフェリザイ郡 / ウロシェヴァツ郡に分割された。
- コソヴスカ・ポモラヴリェ郡はジラン郡 / グニラネ郡と改称された。
- ノヴォ・ブルドはプリシュティナ郡に編入された。
- プリズレン郡は以下のように改編された。
- ゴラとオポリェを合併してドラガシュ基礎自治体を新設した。
- それぞれオラホヴァツ(ジャコヴィツァ郡)、スヴァ・レカ(プリズレン郡)、クリナ(ペチ郡)、グロゴヴァツ(プリシュティナ郡)の一部を切り離しマリシェヴァ / マリシェヴォ基礎自治体を新設した。
- マリシェヴォ基礎自治体に編入されなかったオラホヴァツ基礎自治体の残りの部分はジャコヴィツァ郡に編入された。
セルビアはこの行政区分の変更に抗議し、これを有効と認めていない(その為、従来のメトヒヤ自治州(上述した)の行政区分を使用。)ものの、UNMIKはこの改編を実施した。これは、国際連合安全保障理事会決議1244に基づくUNMIKの権限によるものである。コソボの地域政府は、コソボにおけるセルビア政府の主権の行使に反対し、2008年にはコソボの独立を宣言したが、国際連合からは承認されておらず、そのためUNMIKによる暫定統治は終了していない。
1999年に樹立したUNMIKによる暫定統治は、それまでのコソボ・メトヒヤ自治州の郡を改編した。2008年以降の自治体構成は以下の通りである:

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関連項目
参考文献
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