トップQs
タイムライン
チャット
視点

セントルイス・カー・カンパニー

かつて米国セントルイスに存在した大手鉄道車両メーカー ウィキペディアから

Remove ads

セントルイス・カー・カンパニー(St. Louis Car Company)は、アメリカ合衆国1887年から1974年まで存在した大手鉄道車両メーカーである。客車路面電車機関車のほかにトロリーバスの製造も行っていた。会社名の通り、ミズーリ州セントルイスを本拠地としていた。

概要 業種, その後 ...
Remove ads

歴史

要約
視点
Thumb
サンフランシスコ市営鉄道のFラインで使用されているPCCカー
サンフランシスコのFラインでは各地で使用されていた電車の塗装が用いられており、この車両(1076号車)の塗装はワシントンD.C.の路面電車のもの。
Thumb
バーニーカー
この車両(303号車)はオーストラリアアデレード路面電車博物館英語版の保存車

セントルイス・カー・カンパニーは1887年4月に路面電車などの鉄道車両を製造・販売する企業として設立された。乗用車を製造していた時期もある。1917年にはハッティグ・サッシ・アンド・ドア・カンパニー(Huttig Sash and Door company)と提携して、航空機の製造を行うセントルイス・エアクラフト・コーポレーション英語版を設立した。ここでは第一次第二次世界大戦中にグライダー練習機LVT飛行艇飛行船を製造した。セントルイス・カー・カンパニーの製品の中でも特に有名なものとしてPCCカー[注釈 1]バーニーカー[注釈 2]が挙げられるが、これらの車輌のデザインは当時非常に高い人気を誇った[1]

同社はニューヨークシカゴの路線網向けの車輌を供給しているほか、1939年にはサザン鉄道専用車両として流線形ディーゼル列車FM OP800英語版」を製造した。

1960年、同社はゼネラル・スチール・インダストリーズ英語版(General Steel Industries)傘下となった[2]

1964年、同社はニューヨーク市地下鉄R36WF電車英語版430両およびニューヨーク・ニュージャージー港湾公社向けパストレインPA1電車(先頭車110両、中間付随車52両)の製造を完遂した[3][4]

1960年代半ばには、プラネット社の設計により地元セントルイスのシンボルであるゲートウェイ・アーチの頂上まで来場者を輸送するトラムの製造も行った[5]

Thumb
最後の製品となった「最新の電車」(en:State of the Art Carシーショア・トロリー博物館英語版にて保存)

セントルイス・カー・カンパニーは1968年まで営業を続けたが、最終的に1974年に操業を停止した[6]。最後の製品となったのはニューヨーク市地下鉄およびスタテンアイランド鉄道向けR44電車、およびその設計に基づいた試験車アメリカ合衆国運輸省(USDOT) 「最新の電車」(en:State of the Art Car)」であった。

セントルイス・カー・カンパニーの組立工場および本社営業所のあったホール・ストリート8000番地は、2005年より再開発が始められ、商工業の複合施設「セントルイス・ビジネスセンター」となった[7]

セントルイス・カー・カンパニーは廃業して久しく、同社製の鉄道車輌の置き換えも進んでいるが、一方で各地の鉄道博物館静態動態保存されている車輌も多数ある。代表的なものとしてサンフランシスコ市営鉄道Fラインが挙げられ、ここでは多数のPCCカーをはじめとした同社製のものを含むレトロ車輌が営業運転に使われており、気軽に乗車することができる。

Remove ads

主な製品

Thumb
セントルイス・カー・カンパニー製のトロリーバスペンシルベニア州ジョンズタウン、1967年)
Thumb
エレクトロライナー(保存車)
Thumb
ハイライナー電車(初代)
Thumb
ニューヨーク市地下鉄R44電車
Thumb
シルバーライナーIII電車英語版
Remove ads

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads