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アメリカ合衆国ニューヨーク州の都市 ウィキペディアから
ニューヨーク市(ニューヨークし、英: New York City)は、アメリカ合衆国のニューヨーク州にある都市。1790年以来、同国最大の都市である[6]。市域人口は800万人を超え、都市圏人口では定義にもよるが2,000万人以上である[7][8]。2015年の市内総生産は6,625億ドルであり、全米最大である[9]。ロンドンと共に最高水準の世界都市[10]・金融センターである[11]。国際連合の本部所在地でもあり、世界の政治・経済・文化・ファッション・エンターテインメントなどに多大な影響を及ぼすことから、複数分野における世界の中心としても知られる。漢字の当て字は紐育市・紐約市などがある[注釈 1]。
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ニューヨーク市[1] City of New York | |||||
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上から時計回りに:ミッドタウン、国際連合本部ビル、自由の女神像、ブルックリン橋、セントラル・パーク、タイムズスクエア、ユニスフィア | |||||
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愛称 : ビッグ・アップル ゴッサム 眠らない町 世界の首都 エンパイア・シティ[4] | |||||
位置 | |||||
ニューヨーク市の位置(ニューヨーク州) | |||||
座標 : 北緯40度42分46秒 西経74度00分22秒 | |||||
歴史 | |||||
定住開始 | 1624年5月 | ||||
行政 | |||||
国 | アメリカ合衆国 | ||||
州 | ニューヨーク州 | ||||
郡(区) | ブロンクス郡(ブロンクス区) ニューヨーク郡(マンハッタン区) キングス郡(ブルックリン区) クイーンズ郡(クイーンズ区) リッチモンド郡(スタテンアイランド区) | ||||
市 | ニューヨーク市[5] | ||||
市長 | エリック・アダムス (民主党) | ||||
地理 | |||||
面積 | |||||
市域 | 1,223.59 km2 | ||||
陸上 | 778.18 km2 | ||||
水面 | 445.41 km2 | ||||
水面面積比率 | 36.4% | ||||
市街地 | 8,683.2 km2 | ||||
都市圏 | 17,405 km2 | ||||
標高 | 平均10 m | ||||
人口 | |||||
人口 | (2020年現在) | ||||
市域 | 8,804,190人 | ||||
人口密度 | 1万1313人/km2(2万9302人/mi2) | ||||
その他 | |||||
等時帯 | 東部標準時 (UTC-5) | ||||
夏時間 | 東部夏時間 (UTC-4) | ||||
公式ウェブサイト : www.nyc.gov |
ニューヨーク州と区別する際には、日本ではニューヨーク市と呼ぶことが多い一方で、アメリカ国内などではNYCと省略表記されることが多い。
ニューヨーク市は、アメリカ合衆国北東部の大西洋に面し、巨大なニューヨーク港を持つ。市はブロンクス、ブルックリン、マンハッタン、クイーンズ、スタテンアイランドという5つの行政区(バロウ、ボロウ)に分けられる。2010年の国勢調査における市域人口は817万5,133人を数え[7]、陸地面積は790km2[12][13]、人口密度はアメリカ国内の主要都市の中で2位である[14]。ニューヨーク都市圏の人口もまた国内最大であり、ハドソン川対岸のニュージャージー州ニューアークやジャージーシティ、本土側のヨンカーズやニューロシェル、およびロングアイランドなどを含む都市圏は1,889万7,109人、コネチカット州のスタンフォード、ブリッジポート、ニューヘイブンやニュージャージー州の州都トレントン、内陸のポキプシーなどを含む広域都市圏は2,208万5,649人(いずれも2010年国勢調査)の人口を抱えている[7]。
アメリカ合衆国の都市の中では公共交通機関が際立って多く利用されており、多くの交通機関が24時間運行している。また人口密度の高さと、その多様性も著しい。2005年の調査によれば、市内では170近くの言語が話され、人口の36%がアメリカ合衆国の外で生まれた人であった[15][16]。
ニューヨークは「眠らない街」とも呼ばれ[17]、そのほかにも「ビッグ・アップル」[18]「ゴッサム」[19]といったニックネームがある。
ニューヨークは1624年にオランダ人の手によって交易場として築かれた町である。この入植地は1664年までニューアムステルダムと呼ばれていたが、同年イギリス人の支配が始まって現在の名称になった[20]。1785年から1790年まではアメリカ合衆国の首都としての役割を担った[21]。
市内には世界的に知られた地区やランドマークが数多くある。自由の女神像は、19世紀末から20世紀初めにかけて、アメリカへ渡ってきた何百万人もの移民を出迎えていた。ロウアー・マンハッタンのウォール街は第二次世界大戦以来金融の国際的中心地であり、ニューヨーク証券取引所が置かれている。エンパイア・ステート・ビルディングや1 ワールドトレードセンターなど超高層ビルも多く建ち並び、ワールドトレードセンターもそのひとつであった。国際連合本部ビルもあり、国際政治の中心でもある。
またニューヨークではハーレム・ルネサンス、絵画の抽象表現主義、ポップアートや、ヒップホップ[22]、パンク・ロック[23]、ロフト・ジャズ、サルサ、ディスコ、ティン・パン・アレーなどの音楽ジャンルが生まれた。ブロードウェイ劇場も有名である。
アメリカの総合不動産サービス会社であるジョーンズ・ラング・ラサールが2017年に都市ビジネスシンクタンク「The Business of Cities」と共同発表した総合的な世界都市ランキングにおいて、ロンドンに次ぐ世界2位の都市と評価された[24]。また、2017年に日本の森記念財団都市戦略研究所が発表した「世界の都市総合力ランキング」においても、ロンドンに次ぐ世界2位の都市と評価された[25]。
一方、国勢調査局と疾病予防管理センターのデータを使って、ハーバード大学とカナダのブリティッシュコロンビア大学が調査をしたところ、ニューヨークは全米でもっとも不幸だと感じる都市とする結果となった[26]。
エコノミストの兄弟会社で調査業務を行っているエコノミスト・インテリジェンス・ユニットによれば、2016年9月時点で生活費の世界ランキングで第9位と報じられ、ニューヨークの生活費が世界的に見て高いことが報じられている[27]。さらに、ニューヨークは世界でもっともビリオネア(資産が10億ドル以上)が多い街であり[28]、彼らが行う投資活動が世界経済に絶大な影響力を及ぼしている。
1524年、フランス国王の命を受けたイタリアの探検家ジョバンニ・ダ・ヴェラッツァーノがこの地域に到達し、ヌーヴェル・アングレーム(Nouvelle Angoulême)と呼んだ[29]。その当時、ここには約5,000人のレナペ族インディアンが住んでいた[30]。
ヨーロッパ人の入植は、オランダ人が1614年にマンハッタンの南端に毛皮貿易のために建てた植民地が始まりであり、これが後に「ニューアムステルダム」と呼ばれるようになった。オランダ植民地の総裁ピーター・ミヌイットが、1626年、レナペ族(デラウェア族)からマンハッタン島を60ギルダー(2006年現在の換算で1,000ドル程度)分の物品と交換した[31]。現在では否定されているが、マンハッタンの代価は24ドル相当のガラスのビーズであったという伝説もある[32]。インディアンには「土地を売る」という文化がそもそもなかったため、この取引を彼らが理解していたかどうかは疑わしい。以後、ボタンをかけ違えたまま、レナペ族や周辺部族と入植者は何度も領土をめぐって戦いが繰り返されているのである。
1664年、イギリス人が町を征服し、イングランド王ジェームズ2世(ヨーク・アルバニー公)の名を取って「ニューヨーク」と名付けた[33]。第二次英蘭戦争の末、オランダは、北アメリカでイギリスによるニューアムステルダム(ニューヨーク)の支配を認める代わりに、南米のスリナムとインドネシア・バンダ諸島のラン島(当時は香辛料貿易の中心地で、毛皮貿易のニューヨークより価値のある土地であった)の支配を得た。1700年までに、レナペ族の人口は200人まで減少していた[34]。
ニューヨークはイギリス帝国の支配の下で貿易港としての重要性を増していった。1735年にはジョン・ピーター・ゼンガー事件の裁判が行われ、北アメリカにおける報道の自由の確立へとつながっていった。1754年の国王ジョージ2世の勅許によって、ロウアー・マンハッタンに王立大学としてコロンビア大学が設立された[35]。1765年10月には印紙法会議がニューヨークで開かれた。
ニューヨークでは独立戦争の間、大きな戦闘が繰り返し行われた。1776年にアッパー・マンハッタンで行われたワシントン砦の戦いでアメリカ軍が大敗したあと、街はイギリス軍の北アメリカにおける軍事的・政治的拠点となり、戦争が終わる1783年までイギリス軍の占領は続いた。終戦後まもなく連合会議の会期がここで行われ、ニューヨーク市はアメリカ合衆国の首都となった。ここで憲法が批准され、初代大統領ジョージ・ワシントンが1789年に就任式を迎えた。第1回連邦議会の初めての会期が開かれ、権利章典が起草された。これらの舞台となったのは、ウォール街のフェデラル・ホールであった[36]。1790年には、ニューヨークはフィラデルフィアを抜いてアメリカ合衆国最大の都市へと成長していた。
19世紀、ニューヨークは移民と開発によって大きく変貌した。1811年委員会計画によって、マンハッタン全域が格子状の通りで覆われた。1819年にエリー運河が開通し、大西洋の港と北アメリカ内陸部の広大な農業市場とを結んだ[37]。この地域の政治を牛耳ったのは、アイルランド系移民に支えられた政治的マシーンであるタマニー・ホールであった[38]。公共精神あふれる商人階級の陳情によって、セントラル・パークの建設が始まり、1857年にアメリカの都市の中で最初の景観設計された公園となった。マンハッタンやブルックリンには、大勢の自由黒人もいた。ニューヨークでは1827年まで奴隷制が維持されていたが、1830年代、ニューヨークは北部における奴隷制廃止運動の中心地となった。1840年の時点で、ニューヨークの黒人人口は1万6,000人を超えていた[39]。1860年までにアイルランド系の人口は20万人を超え、市の人口の4分の1を占めていた[40]。
南北戦争(1861年 - 1865年)の時の徴兵制に対する不満から、1863年にニューヨーク徴兵暴動が発生した。これはアメリカ史の中で最悪の暴動のひとつとなった[41]。1898年、ブルックリン(当時独立市であった)と、ニューヨーク郡(ブロンクスの一部を含んでいた)、リッチモンド郡、そしてクイーンズ郡西部が合併して、現在のニューヨーク市が形成された[42]。1904年にはニューヨーク市地下鉄が開通し、新しい市の統合に役立った。20世紀後半、ニューヨーク市は世界の産業、商業、情報の中心地となった。しかし、その陰では犠牲もあった。1904年、蒸気船ジェネラル・スローカム号がイースト・リバーで火災に遭い、乗っていた1,031人が死亡した。1911年に起きたトライアングル・シャツウェイスト工場の火事は、ニューヨーク市で最悪の産業災害で、146人の衣類製造工場労働者が死亡し、国際女性衣類労働組合の成長を促すと共に工場の安全基準の大幅な改善につながった[43]。
1920年代、ニューヨーク市はアフリカ系アメリカ人の大移動で南部から来たアフリカ系アメリカ人にとっての主要な行き先となった。1916年までに、ニューヨーク市に住むアフリカ系都市移住者は北アメリカで最多となった。禁酒法時代にはハーレム・ルネサンスが栄え、それと同じころ急激な経済成長にともない超高層ビルが競うように建てられ、街の風景は大きく変わった。1920年代初頭にニューヨーク市はロンドンを抜いて、世界で最大の人口を擁する都市となった。またニューヨーク都市圏の人口は、1930年初頭に1,000万人を超え、人類史上最初のメガシティとなった[44]。世界恐慌の時代には、改革派のフィオレロ・ラガーディア(Fiorello LaGuardia)が市長に選出され、市政を牛耳ってきた利権団体タマニー・ホールは80年に及ぶ政治的支配を失った[45]。
第二次世界大戦からの兵士の復員によって戦後経済の勃興が始まり、クイーンズ東部で広大な住宅地域の開発が進んだ。ニューヨークは戦争の傷跡を見せずに、世界の一流都市へと成長した。ウォール街はアメリカを世界経済の覇者へと押し上げ、国際連合本部ビル(1950年完成)の設置はニューヨークの政治的影響力を知らしめた。ニューヨークで生まれた抽象表現主義は、この街をパリに代わる世界の芸術の中心地へと変えた[46]。
1960年代のニューヨークは経済的停滞・犯罪率の上昇・人種間対立の高まりに苦しみ、1970年代にピークを迎えた。1980年代は、金融業の盛り返しによって市の財政は改善を見せた。1990年代までに人種間対立も緩和し、犯罪率は劇的に下落した。そしてアジアとラテンアメリカからの新しい移民の波が訪れた。シリコンバレーのような新しい産業部門も興り、ニューヨークの人口は2000年の国勢調査で史上最高に達した。
ニューヨークは2001年9月11日の同時多発テロの現場のひとつとなり、ワールド・トレード・センターの崩壊で、3,000人近くの人が命を落とした[47]。跡地には2014年に開業した1 ワールドトレードセンター(旧称フリーダム・タワー)を含む新たな高層ビルが慰霊の広場やテロに関する記念館を囲む形で建設されている。現在も工事は続いており、再開発の完了は2028年頃を予定している。[要出典]
ニューヨーク市は北東部にあるニューヨーク州の南東部に位置し、ワシントンD.C.とボストン(マサチューセッツ州)のおよそ中間にある[48]。緯度経度は北緯40度46分 西経73度54分で、緯度は日本の青森市とほぼ同じ。ハドソン川の河口に当たる。ハドソン川は、天然の港に流れ込み、さらに大西洋へつながっており、街の交易都市としての発展に貢献してきた。ニューヨーク市の大部分はマンハッタン・スタテンアイランド・ロングアイランドという3つの島の上にある為陸地面積が狭く、人口密度が高い原因となっている。
ハドソン川はハドソン渓谷[49]を通ってニューヨーク湾に流れ込み、河口はニューヨーク市とトロイ市の間の三角江となっている[50]。またハドソン川によってニュージャージー州とニューヨーク市が隔てられている。イースト川(実際には海峡)はロングアイランド湾から流れ、ブロンクスおよびマンハッタンと、ロングアイランドとを隔てている。ハーレム川(実際にはイースト川とハドソン川をつなぐ海峡)は本土の一部であるブロンクスと、マンハッタンとを隔てている。
市の地形にはかなり人の手が加わっている。オランダ植民地時代から、川岸に沿って大規模な埋め立てが進められたためである。埋め立てがもっとも進んだのはロウアー・マンハッタンであり、1970年代から1980年代にかけてバッテリー・パーク・シティの開発が行われた[51]。自然の地勢は、特にマンハッタンにおいては平坦にならされた[52]。マンハッタンはもとは丘の多い地形で、非常にしっかりとした岩盤(マンハッタン片岩)が地下にあるため、超高層ビルの建設に適した地形である。
市の総面積は1,214km2、うち水面面積は425km2、陸地面積は789km2である[12][13]。標高がもっとも高いのはスタテンアイランドのTodt Hillの124.9メートルであり、これはメイン州以南の東海岸の中で最高地点である[53]。その頂上付近は、スタテンアイランド緑地帯(英語: Staten Island Greenbelt)の一部をなし、ほとんど森林に覆われている[54]。
ケッペンの気候区分によれば、ニューヨーク市の気候は温暖湿潤気候(Cfa)である。日照のある日(晴れまたは一時曇り)は年平均234日ある[55]。0℃等温線を基準とすると、温帯湿潤気候に含まれる大都市としては、北アメリカの中では最北に位置する。また、アリソフの気候区分によれば、ニューヨーク市は4.の亜熱帯と5.の中緯度気団帯のちょうど境界線上に位置する。
夏期は一般に高温・湿潤で、平均最高気温は26度から29度、平均最低気温は17度から21度である。32度を超える日は年平均19日ある。冬は寒く、陸から海へ吹く卓越風により、大西洋の影響は限定されているが、それでも大西洋の存在により内陸北アメリカの同緯度の都市(シカゴ、ピッツバーグ、シンシナティなど)に比べれば温暖になっている。もっとも冷え込む1月の平均気温は0度であり、零下になる日は年平均75日、また零下15℃を下回る日は年平均1日ある。春と秋の気候は変わりやすく、肌寒い日から暑い日まであるが、おおむね湿度は低く、快適である[55]。
年平均降水量は1,180ミリメートルで、季節による降水量のばらつきは少ない。年平均積雪量(積雪の深さ累計)は71センチであり[55]、それほど多くはないが、年によってはノーイースターと呼ばれる爆弾低気圧により積雪50センチを超えるような大雪となることもある。ハリケーンや熱帯低気圧は少ないが、全く無い訳ではない。
ニューヨークの気象観測露場は緑豊かなセントラルパーク内のベルヴェディア・キャッスル付近に置かれており、ヒートアイランドの影響は比較的少ない。
ニューヨーク市 (セントラルパーク), 1981-2010の気候 | |||||||||||||
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月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
最高気温記録 °C (°F) | 22 (72) |
24 (75) |
30 (86) |
36 (97) |
37 (99) |
38 (100) |
41 (106) |
40 (104) |
39 (102) |
34 (93) |
29 (84) |
24 (75) |
41 (106) |
平均最高気温 °C (°F) | 3.9 (39) |
5.8 (42.4) |
10.3 (50.5) |
16.7 (62.1) |
22.0 (71.6) |
26.7 (80.1) |
29.4 (84.9) |
28.6 (83.5) |
24.4 (75.9) |
18.1 (64.6) |
12.6 (54.7) |
6.6 (43.9) |
17.09 (62.77) |
日平均気温 °C (°F) | 1.0 (33.8) |
2.0 (35.6) |
5.9 (42.6) |
11.6 (52.9) |
17.1 (62.8) |
22.4 (72.3) |
25.3 (77.5) |
24.8 (76.6) |
20.8 (69.4) |
14.7 (58.5) |
9.2 (48.6) |
3.7 (38.7) |
13.21 (55.78) |
平均最低気温 °C (°F) | −2.8 (26.9) |
−1.7 (28.9) |
1.8 (35.2) |
7.1 (44.8) |
12.2 (54.0) |
17.6 (63.6) |
20.5 (68.9) |
19.9 (67.9) |
16 (60.8) |
10 (50.0) |
5.3 (41.6) |
0 (32.0) |
8.82 (47.88) |
最低気温記録 °C (°F) | −21 (−6) |
−26 (−15) |
−15 (5) |
−11 (12) |
0 (32) |
7 (44) |
11 (52) |
10 (50) |
4 (39) |
−2 (28) |
−11 (12) |
−25 (−13) |
−26 (−15) |
降水量 mm (inch) | 92.7 (3.65) |
78.5 (3.09) |
110.7 (4.36) |
114 (4.49) |
106.4 (4.19) |
112 (4.41) |
116.8 (4.60) |
112.8 (4.44) |
108.7 (4.28) |
111.8 (4.40) |
102.1 (4.02) |
101.6 (4.00) |
1,268.1 (49.93) |
降雪量 cm (inch) | 20.3 (8.0) |
23.9 (9.4) |
9.4 (3.7) |
1.5 (.6) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
0.8 (0.3) |
12.2 (4.8) |
68.1 (26.8) |
平均降水日数 (≥0.01 in) | 10.4 | 9.2 | 10.9 | 11.5 | 11.1 | 11.2 | 10.4 | 9.5 | 8.7 | 8.9 | 9.6 | 10.6 | 122 |
平均降雪日数 (≥0.1 in) | 4.1 | 2.9 | 1.8 | .3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0.2 | 2.3 | 11.6 |
平均月間日照時間 | 162.7 | 163.1 | 212.5 | 225.6 | 256.6 | 257.3 | 268.2 | 268.2 | 219.3 | 211.2 | 151.0 | 139.0 | 2,534.7 |
出典:NOAA [56][57] |
ニューヨーク市での公共交通機関の利用率は国内最高であり、ガソリン消費は1920年代の全国平均と同じレベルである[58]。公共交通機関の利用によって、2006年において66億リットルの石油が節約されており、ニューヨークの節約量は全国の公共交通機関による節約量の半分を占める[59]。人口密度の高さ、自動車利用率の低さ、公共交通機関の利用率の高さにより、ニューヨークはアメリカの中でもっともエネルギー効率の高い都市のひとつとなっている[60]。温室効果ガスの排出量は、全国平均が1人当たり24.5トンであるのに対し、ニューヨーク市は1人当たり7.1トンである[61]。ニューヨーク市民全体では、国の人口の2.7%を占める一方で、国全体の温室効果ガス排出量に占める割合は1%である[61]。ニューヨーク市民の平均電気消費量は、サンフランシスコ市民の半分以下、テキサス州ダラス市民の4分の1近くである[62]。
近年、ニューヨーク市は環境への負荷を減らすことに重点を置いている。環境汚染のため、市民の間ではぜんそくその他の呼吸器系の疾患の発生率が高くなっている[63]。市政府は、市の事務所および公共施設においてもっともエネルギー効率の高い設備を購入することが義務づけられている[64]。また、クリーンなディーゼル=ハイブリッド車や圧縮天然ガス車の数は国内で最大であり、国内初のハイブリッドのタクシーも走っている[65]。ニューヨーク市は、アメリカ合衆国環境保護庁に対して温室効果ガスを汚染物質として規制するよう命じた連邦最高裁判所のマサチューセッツ州対合衆国環境保護庁事件において、申立人の一員となっていた。また、ニューヨーク市は、エネルギー効率の高い緑の建築の分野でも、ハースト・タワーの建築に見られるように、先進的な立場に立っている[66]。
ニューヨーク市の飲料水は、キャッツキル山地の集水域からキャッツキルアケダクトなどのトンネルを経て供給されている[67]。集水域の清浄さと、天然の水濾過により、水処理プラントによる飲み水の浄化を必要とせず、そのような都市はニューヨーク市を含めアメリカ国内に4つしかない[68]。
ニューヨークの建築を何よりも特徴づけるのが、超高層ビルである。超高層ビルの出現と広がりによって、ニューヨークはヨーロッパ的な低層建築の街から、建物のそそり立つビジネス街へと変貌した。2008年8月現在、ニューヨークには高層ビルが5,538棟あり[69]、200メートルを超える高層ビルで、完成済みのものは50棟ある。この数はアメリカ国内で1位であり、世界では香港に次いで2位である[70]。
ニューヨークには、さまざまな様式の、建築的に優れた建物が多数存在する。1913年に建てられたウールワースビルは、初期のゴシック・リヴァイヴァル建築による高層ビルであり、大ぶりに設計されたゴシック様式の装飾は、200メートル近く下の路上からも読み取ることができる。1916年のゾーニング条例により、街路に日光が届くよう、新しく建てられる建物にはセットバックが必要とされ、敷地面積に対する高さの比率が制限された[71]。1930年のクライスラー・ビルディングは、アール・デコ調のデザインで、上部が上に向かって細くなっており、スチール製の尖塔が立っているが、ゾーニング条例の要件を反映したものである。61階目の角にある鷲の頭のレプリカや、尖塔の下にあるV字型の照明など見事な装飾から、多くの歴史家や建築家から、ニューヨークのもっとも優れた建築であると評価されている[72]。アメリカにおけるインターナショナル・スタイル建築の例として、大きな影響を与えたのが、1957年のシーグラム・ビルディングであり、前面には建物の構造を表すブロンズ材のIビーム(I字梁)が外部から見えるようになっている。2000年の4 タイムズスクエアは、アメリカの超高層ビルの中ではグリーン・デザインの重要な一例である[66]。
都心の建物が高層化するにつれ、水圧を確保するために屋上に貯水槽(高置水槽)を設置するようになった。現代でも耐久性、難腐敗性に優れたヒマラヤスギで作られた伝統的な高置水槽を載せた給水塔が1万基以上設置されている[73]。
ニューヨークの大規模住宅地は、エレガントな褐色砂岩のテラスハウス、タウンハウス、そして1870年から1930年にかけての急開発期に建てられた粗末な集合住宅と境界が分けられることが多い[74]。1835年のニューヨーク大火後、木造建築の建設が制限されるようになってからは、おもに石とレンガが建築材として選ばれるようになった[75]。何世紀にもわたって町自身の石灰岩の地盤から建築材を得ていたパリとは異なり、ニューヨークは常に広範囲の採石場から建築材を運び入れており、その石造建造物は多様な石理や色相を示している[76]。市の建造物の多くに見られる特徴は、屋根の上に木造の給水塔があることである。1800年代のニューヨークでは、6階より高い建物には給水塔を設置しなければ、低い階で過度に高い水圧をかける必要があり、その場合には市の水道管に破裂の危険性があったのである[77]。1920年代には、中心部から離れた地域で田園都市が盛んになった。地下鉄の伸張によりアクセスが容易になったクイーンズ区のジャクソン・ハイツもそのひとつである[78]。
ニューヨーク市には、110km2以上の市営の公園と、23キロの公共の砂浜がある[80][81]。これに加えて、国立公園の一部で市域内に入っている、何km2にも及ぶゲートウェイ・ナショナル・リクリエーション・エリアがある。ジャマイカ湾野生生物保護区は、国立公園の中で唯一の野生生物保護区であるが、36km2以上の湿地島と水域からなり、ジャマイカ湾のほとんどを占めている。
マンハッタンのセントラル・パークは、フレデリック・ロー・オルムステッドとカルヴァート・ヴォークスによって設計され、毎年3,000万人が訪れ、アメリカでもっとも来訪者の多い都市公園である。セントラル・パークの大部分は天然のものに見えるが、実は、ほとんどすべて造園されたものである。天然に見えるいくつかの湖・池、長大なウォーキング・コース、乗馬道、2つのアイススケート・リンク(うちひとつは7月、8月はスイミング・プールとなる)、セントラル・パーク温室園、野生生物保護区、広大な自然林、43ヘクタールに及び37億リットルの水を貯めている貯水池とそれを取り囲むランニング・トラック、デラコート・シアターと呼ばれ「シェークスピア・イン・ザ・パーク」夏の祭典が行われる野外劇場がある。屋内施設には、ベルベディア・キャッスルと自然センター、スエディッシュ・コテージ・マリオネット・シアター、歴史のあるメリーゴーラウンドがある。そのほか、大小多数の草地があり、その一部はスポーツで使われたり、静穏区域として区画されたりしており、囲いつきの子どもの遊び場もいくつもある。
セントラル・パークには固有の野生生物がおり、特に春・秋には渡り鳥のオアシスとなっている。バード・ウォッチャーたちも多く集まっており、常時200種の鳥が見られる。公園内の10キロにわたる道路は、特に自動車の通行が禁止される週末と午後7時以降、ジョギング、自転車、インライン・スケートなどに使われている。
ブルックリンのプロスペクト・パークも、オルムステッドとヴォークスによって設計されたものである。36万m2の草地が広がる[82]。クイーンズ区のフラッシング・メドウズ・コロナ・パークは市で3番目に大きい公園で、1939年の