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ダンテ・エクザム

オーストラリアのバスケットボール選手 (1995-) ウィキペディアから

ダンテ・エクザム
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ダンテ・エクザムDanté Exum 1995年7月13日 - )は、オーストラリアビクトリア州メルボルン出身のプロバスケットボール選手。NBAダラス・マーベリックスに所属している。ポジションはシューティングガードまたはポイントガード

概要 ダラス・マーベリックス No.0, ポジション ...
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来歴

要約
視点

幼少の頃からバスケットボールオーストラリアンフットボールを楽しんできたエクザムは、元NBA選手の父を追うべく、キャンベラ大学入学時にバスケットボールに専念。その傍らでオーストラリア国立スポーツ研究所でスポーツ選手としての修行を積み、2013年のナイキ・フープサミットにも出場するまでに成長した[1]。これで自信を付けたエクザムは、NBAに挑戦することを決意[2]2014年のNBAドラフトにエントリーした。

ユタ・ジャズ

2014年6月26日に行われたNBAドラフトにて1巡目全体5位でユタ・ジャズから指名された[3]。ルーキーシーズンは全82試合にフル出場した。

2015年8月5日、オーストラリア代表の合宿中だったエクサムは、スロベニア代表との練習試合で、左膝を負傷。その後の検査の結果、前十字靭帯を断裂したことが判明[4][5]オーストラリア代表での活動は勿論ながら、NBA2015-16シーズンの全休を強いられ、2016-17シーズン開幕戦で復帰した。しかし、2017年10月6日のフェニックス・サンズとのプレシーズンマッチで左肩を負傷し、2017-18シーズンは再び全休になると報じられた[6]

クリーブランド・キャバリアーズ

2019年12月24日にジョーダン・クラークソンとのトレードで、2つのドラフト2巡目指名権と共にクリーブランド・キャバリアーズへ移籍した。キャバリアーズでのデビュー戦となった2020年1月5日のミネソタ・ティンバーウルブズ戦でキャリアハイとなる28得点を記録した。

2021年1月16日にジェームズ・ハーデンが絡む4チーム間の大型トレードで、ビクター・オラディポロディオンス・クルークス、4つのドラフト1巡目指名権、4つのドラフト指名交換権と共にヒューストン・ロケッツへ放出された[7]。9月17日にロケッツと再契約を結んだが[8]、10月16日に1試合も出場することなく解雇された[9]

ユーロリーグでのキャリア(2021-2023)

2021年12月7日にFCバルセロナ・バスケットと3ヶ月の短期契約を結んだ[10]

2022年7月10日にユーロリーグABAリーグに所属するKKパルチザンと契約を結んだ[11][12]

ダラス・マーベリックス

2023年7月14日にダラス・マーベリックスと契約を結んだ[13]。12月12日のロサンゼルス・レイカーズ戦でキャリアハイとなる7本の3ポイントシュートを含む26得点を記録し、チームは127-125で勝利した[14]。このシーズン、チームはNBAファイナルまで進出したが、ボストン・セルティックスに第5戦の末に敗れた[15]

2025年3月14日のヒューストン・ロケッツ戦で左手を骨折する怪我を負い、残りのシーズンを全休することが発表された[16]。このシーズン、エクザムはわずか20試合(内13試合先発)の出場に終わり、平均8.7得点、1.7リバウンド、2.8アシストを記録した。

9月2日にマーベリックスと再契約を結んだ[17]。11月20日に右膝の手術のために残りのシーズンを全休することが発表された[18]

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個人成績

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NBA

レギュラーシーズン

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プレーオフ

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ユーロリーグ

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プレースタイル

オフェンス力は平凡だが、堅実なディフェンスを評価され、守備的チームのユタで出場時間を得ていた。[要出典]しかしnbaでの4年ぶりのシーズン、マブスでスリーポイントを49.1%で沈めオフェンス面での成長をみせている。(49.1%という数字は試合数が足りなかったもののこの年のスリーポイント%王グレイソンアレンの46.1%を上回っている。)

オーストラリア代表

2012年から各世代の代表に招集され、2014年FIBAバスケットボール・ワールドカップでフル代表デビューを果たした。しかし、2016年のリオデジャネイロオリンピックの出場は、前述の重傷からのリハビリ中との理由で辞退した。

家族

父のセシルはノースカロライナ州出身のアメリカ人で、母もアメリカ人である。セシルはノースカロライナ大学在学中にマイケル・ジョーダンジェームス・ウォージーらと共にプレーし、1982年のNCAAトーナメントで優勝を経験した。セシルはその後NBAではデンバー・ナゲッツなどでプレーし、1991年からオーストラリアでプレー。引退後もオーストラリアに定住している[19]

脚注

外部リンク

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