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ティトゥス・ペドゥカエウス

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ティトゥス・ペドゥカエウスラテン語: Titus Peducaeus、生没年不明)は紀元前1世紀中期の共和政ローマの政治家・軍人。紀元前35年補充執政官(コンスル)を務めた。

概要 ティトゥス・ペドゥカエウス T. Peducaeus, 出生 ...

出自

プレブス(平民)であるペドゥカエウス氏族の出身。ペドゥカエウス氏族が歴史に登場するのは紀元前2世紀後半であり、紀元前113年にはセクストゥス・ペドゥカエウスが護民官となっており[1]、別のセクストゥスが紀元前77年に法務官に就任している[2]。しかし、本記事のペドゥカエウス以前に執政官に就任したものはいない。

経歴

氏族は既に元老院階級には属していたものの、ペドゥカエウスの経歴はよく分かっていない。古代の資料にも混乱があり、ペドゥカエウスに関連する出来事が、同じ氏族の別の人物に割り当てられている可能性もある。ペドゥカエウスは紀元前48年カエサル派として、サルディニア・コルシカ属州の総督を務めた可能性がある。これはアッピアノスの記載に基づくが[3]、アッピアノスはこの人物のプラエノーメン(第一名、個人名)をセクストゥスとしている。しかしこれはティトゥスの間違いの可能性がある[4]

紀元前40年ヒスパニア属州総督ルキウス・アントニウスの下でレガトゥス(副官)を務めたと思われる[5]紀元前35年にはルキウス・コルニフィキウスに代わって、補充執政官に就任した[6]。それ以外のことは不明である。

脚注

参考資料

関連項目

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