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ティル・リンデマン

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ティル・リンデマン
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ティル・リンデマン(Till Lindemann)は、ドイツのミュージシャン、花火師、詩人。ラムシュタインのボーカル。パイロテクニクスの資格を持っており、ライブパフォーマンスに取り入れられている。

概要 ティル・リンデマンTill Lindemann, 基本情報 ...
概要 Till Lindemann, YouTube ...
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概要・略歴

要約
視点

東ドイツのライプツィヒ出身。母は公共放送局配属のジャーナリスト、父親のヴェルナー・リンデマン英語版は詩人、 童話作家、教育者、画家であった。
1975年に両親の離婚により、1977年から1980年まで寄宿学校に通い、競泳選手として活動し、1978年に欧州ジュニア水泳選手権出場。1980年モスクワ五輪出場を目指していたが、イタリアフィレンツェで合宿中、宿舎を抜け出すという規則違反で出場権を剥奪された。1988年ソウル五輪では控え選手となった。その後、負傷により競技生活を断念。その後は職を転々としながらミュージシャンの道へ本格的に進む。

1986年シュヴェリンにてパンクバンド"First Arsch英語版"でドラマーを務める。

1992年、First Arschのメンバーとしてアルバムデビュー。

1993年、First Arschのメンバーであるリヒャルト・Z・クルスペ、リヒャルトのルームメイトであったオリバー・リーデルクリストフ・シュナイダーと共に"Tempelprayers"を結成。のちにパウル・ランダースフラーケ・ローレンツが加入し、翌年に"ラムシュタイン"に改名。

2015年ピーター・テクレンと共に個人プロジェクト"リンデマン(LINDEMANN)"を興し、『Skills In Pills英語版』でソロ・デビュー[1]

2020年3月15日、リンデマンのモスクワでのライブの後に帰国後、高熱のため入院。集中治療室で治療を受け[2][3]、当初は新型コロナウイルスへの感染が疑われたが検査の結果、陰性だった[4][5]
同年11月、テクレンが脱退し、リンデマンが解散[6]。これ以降の活動は"Till Lindemann"ソロ名義となる。

2023年、60歳の誕生日を記念し、ロストクにて銅像が建てられた。しかし、除幕式の数時間後に何者かによって盗まれている。[7]
同年5月22日、ラムシュタインのリトアニアヴィリニュスでの公演後、ティル主催のアフターパーティーにて酒にドラッグを入れられ、性的暴行を受けたと北アイルランド人女性が告発した[8]。しかし、事前に女性がTwitterにてティルに一切指を触れていないと投稿していた事(投稿は削除済み)、パーティー後に女性がリトアニア警察で調書を書いていなかった事から、「酒にドラッグ」「性的暴行」という言葉が一人歩きした。後に女性が投稿を撤回し暴行を受けたと主張。また、第三者である俳優カイラ・シックスドイツ語版YouTubeにて同様の暴行を受けそうになったと主張した[9]。6月、ティルは性犯罪と麻薬配布の容疑で家宅捜索を受けるも、無実であるとして8月に捜査は打ち切られた[10][11]
これらに対し、ティルはカイラ・シュピーゲル南ドイツ新聞北ドイツ放送を名誉棄損として訴え[12][13][14]、勝訴した[15]

2024年、ソロ名義でのレーベルをOut of Line Music英語版へ移籍。
同年、Metal Awards男性歌手部門を受賞した[16]

ラムシュタインにおいてはインタビュー等での発言やメディア対応を一切行わない主義を貫いているが、リンデマンではインタビューやメディア出演などを積極的に行っている。

最初の妻との間に娘が二人、次の妻との間に娘が一人いる。最初の妻の二人目の娘は実子でなく、彼女の父親はラムシュタインのリヒャルトである。

右手の人差し指中指薬指小指に「BITTE (訳:お願い)」の刺青を入れている。これはベルリンのビアガーデンの1つ"Praterドイツ語版"のオーナーの一人であるThomas Rotheの真似であるとされている。彼とティルは古くからの友人であり、2019年に彼が亡くなった際には、ラムシュタインのライブ中にステージ上のモニターで追悼のための顔写真が掲載された他、2024年に発表された「Übers Meer」のミュージックビデオの最後には彼に曲を捧げる旨の文が掲載されている。

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ディスコグラフィ

シングル

全て日本盤未発売。

  1. 2003年 Schtielアリアの曲『凪』のカバー。
    ラムシュタインのメンバー・リヒャルト・Z・クルスペとの共作。
  2. 2020年 Alle Tage ist kein Sonntagドイツ語版デイヴィッド・ギャレットとの共作。Carl Ferdinand van Vleuten英語版Carl Clewing英語版によって書かれた、1920年代の曲のカバー。
  3. 2021年 Любимый город – 映画『V2. Escape from Hell英語版』主題歌。エヴゲーニー・ドルマトフスキーNikita Bogoslovsky英語版によって1940年代に書かれた曲のカバー。
  4. 2021年 Ich hasse Kinder
  5. 2023年 Entre dos tierrasドイツ語版Héroes del Silencio英語版1990年に発表した曲のカバー。
  6. 2024年 Meine Welt – 移籍後初のシングル。
  7. 2025年 Und die Engel singenデヴィッド・リンチ監督への葬送歌として作曲された。

アルバム

  1. 2023年 Zunge英語版[17] – 日本盤未発売。CDMP3で発売され、CDにのみ、6曲目と7曲目の間にシングル曲「Ich hasse Kinder」が収録されている。

First Arsch英語版

  1. 1992年 Saddle Up

ラムシュタイン

Na Chui

  1. 2020年 Till the End (Na Chuiの曲)ドイツ語版Zoran Bihaćドイツ語版Rakedeドイツ語版のキーボーディストDaniel Karellyによる共同プロジェクトとして制作された。

リンデマン

  1. 2015年 Skills in Pills英語版
  2. 2019年 F & M英語版 – 日本盤発売2019年[18]ハンブルク国立タリア劇場英語版とのコラボレーション作品であり、グリム童話ヘンゼルとグレーテル』を現代風に解釈した戯曲からインスパイアされた[19]
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著書

脚注

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